昭和の極論 VS. 令和の極論
結局セクハラってなんなんだろう
「今のテレビはつまらない」と言われ始めたのは果たして、コンプライアンスの意識が強くなってしまったからなのだろうか。
「カワイイって言っちゃダメですか?」と題した第3話では、昭和のバラエティー番組と令和のバラエティ番組を対比しながら、“セクハラ”のボーダーラインについて迫っていく内容だった。
令和のテレビでは「(カニクリームコロッケの)中トロトロ」「(うどん)がシコシコ」など、何かを連想してしまいそうなワードはNGだという。八嶋智人は、それらを他のワードに言い換えることに苦戦する。
さらに、女の子が髪を切ったことや、バレンタインデーにチョコをあげる予定があるのかについて聞くことも、“不適切な発言”として謝罪が求められる。一方、昭和のテレビでは、深夜番組とはいえ女の子へのおさわりや、身体部位のポロリなど当たり前。視聴者もきわどい描写を嬉々として待ちわびている。
やはりこうして比べると、昭和の”不適切さ”には驚く。
劇中、サラリと触れられていたが、女の子が「自分の役割を理解しているかどうか」というのは1つのポイントになるかもしれない。番組を盛り上げるための演出の一環という認識の上で、彼女たちは仕事を全うしていた。
しかし、演じる女性自身が「役割」を認識していればどんな過激なことでも許される、という考え方自体、昭和の古い価値観に根ざしている気がする。また、女性が引き受けるか否かの選択を迫られる「役割」自体が、男尊女卑の価値観に基づいたものだったら、元も子もないだろう。
市郎は、娘の純子が人々に卑猥な目で見られることを拒み、セクハラのボーダーラインは「みんな誰かの娘、自分の娘にしないことや言わないことはやらない」とした。一見、真理を突いているかのようにみえるこの言葉も、そもそも娘をもたない成人男性への有効性には疑問があるし、「娘を私物化するような父親も存在する」ことを考慮すると一般化するには無理があるように思える。
とはいえ、市郎の答えが全てではないし、まだまだ解決しなくてはならない問題や疑問は残るが、これをきっかけに視聴者が自分でもセクハラのボーダーラインを考えてみることが大事だろう。