脚本家・エモケン=クドカン?
脚本家・エモケンの執筆活動が滞ったことを中心に展開された第7話。視聴者の期待とプレッシャーに押しつぶされながら、物語を書き上げる脚本家やドラマ制作の知られざる苦悩を垣間見ることができた。
過去の功績と未来への不安に揺れるエモケンの姿は、偉そうにバーで物事を語る様子とは打って変わって情けなくて人間味を感じさせる。
しかし、華やかな世界でもてはやされている人間も裏では葛藤を抱えているという描写には、クドカン本人の心理も反映されているのではないかと取れる。「回収しなきゃダメですか?」とつけた第7話のタイトルも、クドカンからの我々視聴者への問いかけなのではないだろうか。
脚本家のエモケンはエゴサをしてしまうことで脚本を書く気力が削がれてしまっていたが、これにはセクハラの基準をめぐるトンチンカンで強引な答えや、令和の社会学者とは思えないサカエの不適切発言により炎上してしまった回の記憶が呼び起こされる。
苦しみながらやっとの事で産み落とした話がボロクソに叩かれ、ぶち当たる老いの壁や、上がりきったハードル、どうしても目に付くネットニュースや評判に左右されるエモケンを通して、クドカンの苦悩が透けて見えはしないだろうか…。
さらに“タイムスリップもの”としてスタートした本作の、視聴者の期待を大きく裏切る“伏線回収”の線も気になる。昭和と令和を行ったり来たりしながら紡がれる映像は互いにリンクしており、観るものを飽きさせないが、ラストに向かって話がどのように進んでいくのかは今の所見えてこない。
それに市郎と純子の未来が決まってしまっているという事実は、視聴者が予想していなかったことではあるが、あまりにもバッドエンドすぎる。
クドカンは今頃「タイムスリップものには大どんでん返しが欠かせないよね」という暗黙の了解的な空気も感じながら執筆しているのだろうか。
そんなことを想像させる第7話であった。