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世間って誰のこと?

ドラマ『不適切にもほどがある!』第1話より ©TBS
ドラマ不適切にもほどがある第1話より ©TBS

今回の”ふてほど”も切り込んだ内容だった。たった一度の過ちを何年たっても許さないという、“世間”の正体は一体どういうものなのだろうか。全く関係ないはずの赤の他人が、芸能人の家庭の不倫をいつまでも許さないという制裁は、何のために存在するのだろうか?

劇中では人気アナウンサーが一夜の過ちから立場を失うも、反省して一からやり直していく姿が描かれた。不倫の当事者である妻も不倫を「つまみ食い」と称して夫のことを許していた。

それでも復帰を認めないと押さえつける理由を考えてみたい。

劇中、倉持アナが復帰した後、SNSで書き込まれていた内容の中に「私もサレ妻です。夫の不倫相手も人妻」という投稿があったように、不倫していた人がテレビという公の場に現れることで、それを見て自身の辛い思い出を呼び起こしてしまう人は一定数いるだろう。

大前提として不倫はいけないことだ。しかし、一般的に視聴者とアナウンサーは他人同士であり、無関係の相手である。自分にとっての障害すべてを世間から排除するというのは、極端な行為だし無理がある。難しいことだがどこかで割り切ることが必要だし、筆者個人としては、たとえどんな不幸があったとしても、何とか前を向いて歩いていくしか幸せになる道はないと考えてしまう。

倉持の復帰を阻止していた栗田は、身を以て自分が過去に犯した過ちの大きさを受けて止めていた。倉持もそんな栗田の姿を見て、世間からバッシングや、自分だけでなく会社にまで迷惑をかけることを分かった上で、表舞台に復帰した。

人々がそれぞれ多様な悩みを抱えるこの世の中で、誰のことも傷つけないというのは恐らく不可能だ。倉持は傷つき傷つけながらも立ち向かう道を選んだ。

また、今回「たった一回の過ちも許されない世の中は間違っている!」という市郎の主張は、令和の人々の心に響かせることは残念ながら出来なかった。しかし、大なり小なり失敗をするのが人間だ。市郎の主張は、誰しもが心の奥に眠らせている叫びだと筆者は考える。

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