『夏の庭 The Friends』が描く絢爛にして残酷なる死の儀式
さらにその次の『夏の庭 The Friends』では、主人公の3人の少年は、独居老人・傳法喜八(三國連太郎)の死期を予感とともに見つめるオブザーバー=心優しき死神として登場する。3人の少年は老人の邸宅の雑草を取り除いてコスモスの種を蒔き、屋根を修理し、障子を張り替えて、あたかも老人の暮らしを再生させたかに見える。じっさい、そのさまを眺めながら通りかかる大人たちは、こぞって目を細めて「感心だ」と賞賛しながら立ち去っていくではないか。しかし大人たちには事の本質が見えていないのである。3人の少年の善行が本質的には無意識に、あらかじめ執り行われる喪の儀式であることを。
独居老人の荒屋はあたかも再生したかに見えて、じつのところは綺麗に掃き清められた巨大な棺として機能することになる。無垢な少年たちの善行は、完璧なる死霊祭礼の舞台製作であった。この完璧なる死の儀式は、さらに超絶たる修飾がほどこされる。先の大戦において傳法喜八は、中国の罪なき村人たちの殺戮に加担したことを3人の少年に告白する。この時点で観客は、傳法喜八をめぐるドラマの結末が心温まるハッピーエンディングを迎え得ないことを理解するだろう。
しかし相米慎二は、『お引越し』で少女に生死の境目を往還させたように、こんどは『夏の庭 The Friends』において、殺戮の徒に科された煉獄の長き時間の最後に、せめてもの絢爛たる修飾をほどこす。
罪人・傳法喜八 そしてその罪の観念ゆえに復員しても家に「帰れなかった」煉――獄の徒(三國連太郎)。夫の帰宅を待ちながら長期間を独身で過ごし、老人ホームで最後の時間を生きる妻・弥生(淡島千景)。このふたりを演じる偉大な俳優は、岸田國士の原作小説を木下惠介監督が映画化した名作『善魔』(1951)で共演した縁で結ばれている。この作品でデビューした三國連太郎は役名の三國連太郎をそのまま芸名としたのだった。
罪を背負って黄泉の国へと旅立つ男の最期に、長く離れて生きてきた妻を引き合わせて円環を閉じる。三國連太郎/淡島千景の43年後の再共演によって完璧な円環を閉じる。なんという絢爛にして残酷なる死の儀式、死の演出であろうか。相米慎二が初期のころからワンカット長回しによって時間の持続を宙吊りにしつつ、登場人物の運動をアクロバティックに視界に収めてきたことはよく知られている。しかし、それらはスタッフ・キャストへの弄びでもなければ、純粋遊戯でもなかった。それは絢爛にして残酷なる死の儀式、死の演出の、遥かなる準備としてあったのではないだろうか。
(文・荻野洋一)
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