画面に滲み出る老いと疲れ
とはいえ、これまで述べてきたようなテーマは、北野映画を語る上でたびたび言及されてきたことでもある。つまり本作は、過去の作品のセルフバロディ(というよりも「縮小再生産」)に過ぎないのだ。そして、このことこそが、本作の最大のテーマでもある。
後半のコメディパートでは、Mから情報を受け取ったねずみがスーツケースを引っ張りながら息も絶え絶えにアパートの階段を登るシーンがある。その姿には、往年のビートたけしが見せたキレはない。
「脱線」を図ろうとしてももはや身体も動かない。そして、かつては芸能界の頂を極めたビートたけしという「覆面」も、もはやただの布切れでしかない…。北野は、本作を作ることで、自らの老いを自虐的に笑い飛ばしているように見えるのだ。
筆者が気になったのは、本作のエンドロールで流れる「アスファルトに打ち捨てられた覆面」だ。もしかすると北野は、引退コンサートでマイクをステージに置いて去った山口百恵よろしく、すでに「終活」に入っているのではないかー。
願わくば、北野自身にこのレビューを見て、「こんなえいがにまじになってどうするの」(ゲーム『たけしの挑戦状』のパロディ)と笑い飛ばしてもらいたいものだ。
(文・司馬宙)
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