「死を正しく捉えることは生きる上で必要なこと」
生と死が交錯する物語について
―――クランクインまでにそんな壮絶な過程があったのですね…。本作は2部構成になっていて、最初のパートである事件が起こり、後半のパートでは被害者の人生が描かれます。とても独創的なシナリオですが、こうした構成を採用されたのはなぜでしょうか?
「私は見てのとおり、非社会人というか、社会に馴染めずに生きてきました。これは、人生につまずきまくった人の特徴だと思うんですけど、自分と向き合う時間が沢山あったんです。働いてないわけですから。
その間、何をしていたかというと、ずっと青空を見ていたんですよ。そんな時間を過ごしていると、自分が何で生きているのかわからない、すべてが無駄であるという気がしてきちゃうんですよね。その気持ちは今でも拭い切れないんですけど。
人生の手応えというものは…私は一切無いと思うんです。『いや、あるよ』っていう人ももちろんいると思うんですけど、どっかでまやかしだと思っていて。それは金とかセクシャルなお遊び、物質やリビドーにうつつを抜かしているだけであって。
結局本当の意味での生の手応えといったものなどなくて、“死あるのみ”なのではないか。私は、そういう立場で人生をずっと見ているんですけど、そのような視点が捉えた人生の景色を共有してもらおうと思ったんです」
―――シナリオの初期段階からこうした構成だったのでしょうか?
「そうです。小さい頃から仮面ライダーとか見ていても『この戦闘員は普段どんな風に生きているんだろう』といったことばかり気にしていたんです。戦闘員であっても、元々はお母さんとお父さんが愛し合った結果、望まれて生まれてきたのだろうなと思ったり。
ちょっと話は変わりますが、『飲酒運転で3人亡くなりました』というニュースを見ると、ついつい死を“数”で受け止めてしまうけど、一人一人の人生があったわけですよね。人の命というのは“数”じゃない。
世の中、あまりにも『自分は死にません』みたいな顔をしている人が多くないですか?どうせ死ぬのに。私は、死というものを身近に捉えておくことは、良く生きることにおいて絶対に必要なことだと思っているんです」
―――奥田監督の死生観が本作のストーリー構成に表れているということがよくわかりました。例えば、ある種のハリウッド映画などでは人の死を軽々しく扱いますよね。あたかも命を数に換算するかのように。
「最近の作品は血が出ないですからね。若い世代に人気のアニメでは、女の子が平気な顔して刃物で斬り合っていたりしますが、私からしたら“刃物を突きつけられたことの無い奴が作った作品”だとしか思えません。とはいえ、私も刃物で刺されたことはありません。学生時代、授業中にボールペンで背中を刺されたことはありますけどね。理由は憶えていませんが…。
ともあれ、そういう作品は“暴力の痛み”がない。死を宿命づけられて生きている…という、人間にとって一番大事なことを全く見ておらず、命の捉え方がなってない。深作欣二が描く暴力は命を捉えているじゃないですか。昔は死が身近だったわけですよね。
別に昔みたいに野蛮な時代になれとは全然思いません。ただ、繰り返しになりますが、死を正しく捉えることは生きる上で必要なことだと思います」