宮崎駿のメロドラマー演出の魅力
本作は、宮崎駿の9作目の長編作品。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説『魔法使いハウルと火の悪魔』で、『魔女の宅急便』(1989年)以来15年ぶりの非オリジナル作品となる。
日本の興行収入を大きく更新した『千と千尋の神隠し』(2001)に続く本作は、ハウル役の木村拓哉も相まって公開前から大きな注目を集めた。第33回アニー賞の長編映画部門作品賞へのノミネートをはじめ国外での評価も高い。
本作は一見すれば、慎ましやかに生きる少女ソフィーと魔法使いハウルの「恋愛ファンタジー」ということになるだろう。しかし、ソフィーがハウルの城に住んで以降は、どこかホームドラマのようで、終盤ははっきりと戦争ドラマの様相を呈し始める。そういた意味で、本作はむしろ、ファンタジーの皮をかぶったメロドラマといえるだろう。
ちなみに、1986年に刊行された本作の原作小説と映画版とでは随所で変更が施されている。映画版ではソフィーを老女に変えた張本人である荒地の魔女が、魔力を奪われた挙句、ハウル&ソフィーの仲間になる展開が描かれる。しかし、これは宮崎駿による映画独自の設定。原作において荒地の魔女は終始主人公たちの敵であり、物語は最後に彼女を倒すことによってハッピーエンドを迎える。
他にも、ソフィーの家族構成やハウルの性格に至るまで、原作からのアレンジは多岐に渡っている。特にハウルの造形に関して大きな変更が加えられている。
映画版でも女たらしで浮気性、かつ魔女から逃げる臆病な性格ではある。しかし、原作では「見た目は平凡」とされ、女性を惚れさせる魔法の薬を使ってナンパを繰り返すなど、映画版に輪をかけて人間臭いキャラクターとして描かれているのだ。映画のイメージをもったまま原作を読むと、ギャップに戸惑うかもしれない。
なお本作の監督は、当初『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』で知られる細田守が担当予定だったが、途中で宮崎に変わったのだという(降板理由は明らかにされていない)。監督がもし細田だったら、どんな脚色が施されていたか…と考えてみるのも悪くないかもしれない。