『自分が生きてきた時代に市子もいたんだ』
時代ごとに変化する世相を描いたワケ
―――本作は1990年代から2015年までを描いているわけですが、物語の随所に当時の世相が間接的に描かれます。例えば、2008年頃の「塩スイーツブーム」など、観ていて懐かしい気持ちになりました。
「オリジナルの戯曲を作るとき、市子の年齢とその時に起きたブームや事件が一目でわかるような年表を作成したんです。
物語の背景にリアリティを持たせたかったので、日本でこういうことが起こっている時、市子は何歳でどういう状態だったのか、彼女が世間から受けた影響などを真剣に考えました。それもあって所々に、たまごっちとか塩スイーツ、震災といったトピックがポイントで入っています」
―――よく「失われた30年」という言い方をされますけど、昭和の終わりから今に至るまで自分がどのように過ごしてきたのかを、映画を通して考えさせられました。
「現実で起きた出来事を描くことで、観る人に『自分が生きてきた時代に市子もいたんだ』っていう風に感じてほしかったんです。フィクションだけどノンフィクションみたいにも見える。そういう風にしたいと考えていました」
―――最後に少し謎かけのような質問になってしまうんですけど、戸田監督にとって舞台『川辺市子のために』はどのような存在か。それに対して、今回映画になった『市子』をどのように捉え子ていらっしゃるのか。伺えますと幸いです。
「舞台版は、四畳半のステージが中央にあって、四方を客席と市子役以外の出演者で囲んで、登場人物それぞれの証言が四畳半の中で再現されていくというスタイル。
象徴的なステージが舞台の中心にあって、市子はそこにいるけど、その四畳半には上がれない。肉体は目の前にあるのだけど掴めないという形でかなり抽象的な作りにはなっているのですが、実像としての肉体が現前していて、観る人がその存在を感じ取れるという点は舞台ならではだと思います。
一方で映画は光と影の表現なので、市子を演じた杉咲さんの肉体は終始画面に映っているのだけれども、やっぱり影でしかなくて、実像を掴むことはできない。同じ作品でも、舞台が実像を抽象化して描くのに対し、映画は逆に実像を掴ませない、という意識はあったかもしれません」
―――先ほどのお話では、舞台では市子の内面を表現するモノローグがあるのに対し、映画では言葉をそぎ落としたと仰っていましたね。
「そうですね。舞台版では“言葉と体”をすごく大事にして作っていったのですが、映画の場合はモノローグとか言葉を削って、証言者たちが見たものを映していくということに徹しました。そこは大きく違うところですね」
―――戸田監督は舞台と映画という異なるジャンルをまたいで活動されていますが、どのようにしてバランスをとっているのでしょうか?
「単純に僕は舞台も映画もどっちも好きなんです。舞台を演出することで映像表現の特性が分かったり、逆に映像作品を作っていて舞台の特性が分かることもあって。どちらか一方にコミットしていたら発見できなかったような表現が見えてくるのがとても面白いと思っています」
(取材・文:山田剛志)
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