濱口竜介が語る、エドワード・ヤンの集大成的なテーマとは?
続けて濱口は、うわべだけのコミュニケーションにうつつを抜かす『恋愛時代』の登場人物たちが後半に見せる“ある変化”に着目する。
「最初は登場人物たちの顔がクリアに見えるのだけど、後半に至るにつれて、闇に浸されるような形で表情が見えなくなっていく。そして、次第に都市の光が届かないような場所でコミュニケーションし始める。その時に描かれるのは、それまでには見られなかった、親密な言葉のやりとりです。画面が闇に覆われ、登場人物たちの顔が見えづらくなっていく過程で、今までとは少し違った声が生まれてくる。そんな印象があります」
濱口は「エドワード・ヤンは一作ごとに自身のスタイルを大胆に更新していく作家である」と語り、次のように言葉を続ける。
「物語が進行するにつれて、キャラクターたちが人間性を回復していく『恋愛時代』は『クーリンチェ』とは異質です。それはエドワード・ヤンが心から求めていたものではないか。『クーリンチェ』のような悲劇的な傑作を撮ってしまったあと、絶望的な状況で喜劇的なことをやろうとする。そういうトライが本作から始まろうとしているのではないか。今回再見して、そんなことを強く思いました」
持てる力を振り絞って一世一代の傑作を撮り上げた後、映画監督はどのような方向に進むべきか。『ドライブ・マイ・カー』と『偶然と想像』(2021)という2本の傑作を立て続けに監督し、早くも次回作を見据える濱口自身の決意もトークの端々に垣間見える。
過去作『寝ても覚めても』(2018)、『ドライブ・マイ・カー』でエグゼクティブプロデューサーを務めた久保田修氏は、エドワード・ヤンの遺作『ヤンヤン 夏の思い出』の現場にも参加。自作の製作期間中、濱口は機会があるたびに、エドワード・ヤンの人柄や演出について久保田氏に質問をしていたという。
「個人的に『ヤンヤン 夏の思い出』は、『クーリンチェ』に並ぶ傑作だと思っています。『ヤンヤン』では『クーリンチェ』で顕著に見られる映像と音響の解体を推し進めつつ、『恋愛時代』で培った俳優との共同作業が非常に強く反映されている」
濱口は続けて「人生は生きるに値する』と言い切れるような何かを、エドワード・ヤンは映画を通じて探求していた」と語り、近い将来、全作品が上映される機会が訪れることに期待を寄せた。
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