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三重構造、もしくは四重構造のストーリー

西野七瀬
元村由梨江役の西野七瀬Getty Images

本作は三重構造になっているのがポイントである。その内容は以下のとおりだ。

【一重構造】
・演出家である東郷陣平主催のオーディション→外部と連絡をとったり、敷地から出てしまうと不合格になる

【二重構造】
・麻倉雅美(森川葵)の計画→自分の人生を台無しにした雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺す

【三重構造】
・本多雄一の計画→雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺したフリ(演技)をする

オーディションという設定があることにより、登場人物は山荘で起きる出来事が実際の事件なのか、東郷の演出なのかがわからなくなり、外部に連絡したり外出をすることがままならない。

そこに殺人を目論む麻倉雅美の計画が乗っかり(二重構造)、実際に殺人を犯さなければならなくなるが、同時に本多雄一の計画(三重構造)が入り込んでくるため、観ていて一筋縄ではいかないストーリー構成に仕上がっているのである。

とはいえ、ここまでの展開は映画も原作小説も変わりはない。映画では三重構造のトリックに加え、前述したとおり、更に一つ上の段階である四重構造を採用している。

というのも、映画では『ある閉ざされた雪の山荘で』を麻倉雅美主演で舞台化した、という感動的なシーンで幕を閉じているため、「全てが舞台上の演技であった」という可能性が考えられるのだ。

麻倉雅美が本気で雨宮恭介、笠原温子、元村由梨江を殺したいと考えていたとすると、果たしてそれほど憎んでいる他者を相手に、心を開いて演劇に打ち込むことが出来るだろうか? と思わざるを得ないが、 「全てが舞台上の演技であった」=「これまでの展開にはすべて台本があった」と考えればすんなりと納得がいく。

つまり私たち観客が見ていた映画の展開は「全てが舞台上の演技であり、キャスト陣の卓越した演技によって映画の内容を真実だと思い込まされていた」ということだ。

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