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「生活の全てが勉強だった」
モデルとなった知里幸への思い

Ⓒシネボイス
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―――ユーカㇻはどのようにして身につけたのでしょうか?

「録音してもらった音源を家でひたすら聞いて、それを実際に声に出して唄う練習をしました。内容を覚えてロケ地である北海道に入ったものの、ユーカㇻを指導してくださった方に『全然話が見えてこない』と言われてしまって。

ユーカㇻには物語があって、その言葉一つひとつにちゃんと意味があるのに、私は綺麗に唄おうとしていたのですね。ユーカㇻはあくまで物語の口承を目的としているので、『もっと自由にしていいから、何を言い表しているのかちゃんと意味を理解して、普段普通に話しているように唄ってみて』と言われて。

私が普段話している言葉とユーカㇻの言葉を突き合わせて、自然に唄えるように現場で必死に練習しました。最終的には『今の良かった』って言ってもらえるカットが撮れて一安心。準備期間も含め“生活の全てが勉強”といった感じの撮影でしたね」

―――吉田さんがユーカㇻを唄いあげるシーンは、まるで子供に童話を言い聞かせているように見えました。

「ありがとうございます。テルの伯母を演じた島田歌穂さんがユーカㇻを披露するシーンも多いですが、情緒の出し方が本当に凄いと思いました。ユーカㇻには楽譜がないので、島田さんも大変な思いをされているようでした。

映画だと省略されていますが、ユーカㇻって長いものだと唄い終わるのに何日も掛かるんです。それを覚えて、口伝えで歴史を繋いできたアイヌの方々の記憶力たるや…想像を絶するものがあります」

―――今回、吉田さんは実在した人物をモデルにしたキャラクターを演じられました。役作りのアプローチは今までと変わりましたか?

「そうですね。菅原浩志監督は『テルとして生きていいよ』と言ってくださったのですが、知里幸惠さんが役のベースにあるのは間違いなくて。まずは知里さんのことを学ばなきゃいけないと思い、東京にいる時はインターネットで調べて、製作発表会で北海道に行った際には、知里さんの記念館(『銀のしずく記念館』)に伺って、館長さんのご説明を聞きながら、知里さんが著した書物や写真、年表などを実際に目の当たりにしました。

私、撮影当時19歳だったんですけど、知里さんは19歳で亡くなっています。最初は同じ年齢とは思えないほどしっかりとした方だなという印象が強かったのですが、館長さんのお話を聞いていると、19歳らしく恋をしていたり、家族と可愛らしいやり取りをしていたり、年相応のチャーミングな一面も見えてきて。自分とは程遠い方なのかなと思っていたところ、共感できる部分があることに気付かされて、ちょっと安心しました。

自分の芯を貫くカッコいい部分だけじゃなくて、19歳らしい一面が見えてもいいと、役づくりの指針をもらえたので、記念館に行けたのは自分の中ですごく大きかったですね」

―――吉田さんが主演を務められた『あつい胸さわぎ』(2023)も拝見していますが、とても同じ女優さんだとは思えませんでした。今回はビジュアルなど、徹底した役づくりをされたのではないでしょうか?

「はい。髪型に関して言うと、私が今まで演じた役は黒髪のボブが多いんですけど、今回は役に合わせて前髪も無くして、髪も長めに結べるようにしました。

あとは『眉毛を絶対に剃らないように』と言われて。私は眉毛がしっかりあるほうなので、普段の現場では書き足すというよりかは、色を薄くすることが多いのですが、この作品では元々濃い眉毛を自然に書き足しています。私の人生の中で一番眉毛が濃い時期だったと思います(笑)。そうしたこともあって、本作のポスターを見ても『これ私かな?』って自分でもちょっと思いますね。

でもこうして、私が主演した映画を2本見てくださった上で『雰囲気が別人みたい』って言ってもらえるのは役者として凄く嬉しいです」

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