「自分がいる世界と“似てるけど違う”という不気味さや寂しさ」
映画の画と共にインプットされた感情
ーー先ほど、同録ではなかったと仰ってましたけど、後からアフレコで録音されたということですよね。
「大学を卒業してからは東京でテレビの仕事をしていたので、編集が本当に進まなくて。1年経った夏休みに関西に戻ってきました。そこで1日かけてアフレコしたんですけど、やっぱり凄く時間が掛かりましたね。
撮影時に声のトーンやセリフの雰囲気は演出していましたが、音声だけに意識を向けると、意図した音に近づける作業が必要で、ピタっとはまるまで何度もやりたくなっちゃいましたね。りつの『ん?』というのだけでも、10個くらい録ったりしました」
ーーセリフ以外の環境音なども後から乗せているわけですよね。
「フォーリーという音を作る部署の方に入っていただきました。一から音を作ったので本当に大変だったと思います。日常生活ではそんなに大きく聞こえない音にもこだわったので、わがままを言わせてもらったなぁという感じです。
一番印象的だったのは、ビラ配りのシーンの撮影場所が京都河原町の商店街なのですが、フォーリーの方がわざわざ同じ商店街に行って音を録ってきてくださったんです!どこで録ってもバレないと思うんですけど、その熱意に感動しました」
ーー実際にフォーリーの方と一緒に製作されましたか?
「完全にお任せして、シーンごとに音を作っていただきました。一番難しかったのは、最後の鳥の糞が落ちるシーンです。ちょっと汚い話になっちゃいますけど、サラサラした糞の音でも、逆に重い音でもないので、そこは何度もやりとりさせていただきました。一番最後の音なので、観客の頭の中に残るじゃないですか。そういった絶妙だけど、絶対外せないものが随所で結構ありましたね」
ーー中盤のシーンで、高いススキの前にリビングのセットが設置されているシーンが、とても魅力的で印象に残っています。私は寺山修司『田園に死す』を思い出したのですが、そのシーンのエピソードについて教えてください。
「まさに寺山修司の『田園に死す』のシーンをオマージュしました。あの虚しさというか、同じ世界にいるのにいられない感じとか、それをあんなにかっこよくやる方法って多分あの映画を観てなかったら思いついてなかったと思うんですよね。そのシーンを探して『田園に死す』を観たわけでは全然ないんですけど、『こういうカットでこういう感情が想起されるんだ』と凄く記憶に残っていて、脚本を書いてる時に、『ここであのカットをやりたい』とふと思い浮かび取り入れました。
本作でも、昔の家に戻ってりつに声を掛けるけど振り向いてもらえないとか、自分がいる世界と“似てるけど違う”という不気味さや寂しさを全体的にじわーと匂わせたかったので、それが表現できたシーンになったと思います」
ーー映画を観て感じた感情と共に映像として記憶に残っていたと。
「そうですね。ATG映画を結構観てた時期があって、『こういう映画もあるんだ』と凄くカルチャーショックを受けて、それが印象に残ってますね」
ーーATG映画は“日本の潔さ”が表現されていて、かっこいいですよね。
「潔い。まさにそうですよね」