「何かを思い出す時って、淡い綺麗なものだけじゃない」
田中さくら監督の作風に秘められた想い
ーーもう一つの作品、『いつもうしろに』についても伺えればと思います。本作は、実家を離れて暮らすことになる主人公ショウタが、身辺整理をする共に、それまでの思い出とお別れするような物語から広がっていきます。プレス資料の監督のコメントにもありましたが、『もっと辛い思いをしている人がいるから』という言葉に対して違和感を感じていたそうですね。そこから本作の製作に繋がったと思いますが、着想について詳しく教えてください。
「『夢見るペトロ』が田辺・弁慶映画祭で賞をいただいて、その副賞としてテアトル新宿での上映権をいただきました。2時間の枠がある中で、30分の短編作品だったので、『もう一本撮ってみたら?』と提案されたことが一番最初にあります。なので、『夢見るペトロ』の後に上映されることを意識して、その世界観を壊さないで、2つ並んで楽しめるという点で脚本を書き始めました。
『夢見るペトロ』の方は、状況下に対して、どうしたら乗り越えられるだろうという自分軸で物語が始まったのに対して、本作は、ある事実に対して映画を作るとしたら、自分だったらどういうものが作れるんだろうかという他人軸で考え始めました。
『私よりもあの人の方が大変だから。辛いから』みたいに、痛みを自分自身に対してなかったことにして、何となく日常を送れているけど、ふとした時に蓋をしていたものがパーンと出てきちゃうみたいな…。そういう“痛みの無化”ってあると思うんですよね。そういう誰かに手を添えるだけでも何か変わるんじゃないかなと。
別に変わることを望んでるわけではないんですけど、あの時は自分が元気だったので、人のことも考えられたっていうのもあって、こういったテーマのものが出来上がりました」
ーー本作は、石井夏美さんとの共同脚本ですが、どのような流れで2人で書いていきましたか?また1人で書く時と、どのような違いがありますか?
「石井さんは所属していた映画サークルの一個上の先輩でしたが、在学中は一緒に作品を作ることはなかったんです。でも大学卒業後も石井さんが脚本の勉強をされていることは知っていて、劇場公開予定の作品だということもあり、私もあまりフラフラしてられないと思い、最初石井さんに脚本の相談をしていました。そしたらかなり細かく色々考えてくださり、『これは石井さんと書いた方がいい!』と思いお願いしました。なので、初稿が上がるまでは1人で書いて、石井さんにはそこから肉付けしていただきました。
石井さんがだいぶ寄り添ってくださったので、心地よく台本を書かせてもらえたなぁという感じがします。1人で書いている時よりも、頭が冴えているというか。ぼんやり微熱状態で書くのではなく、落ち着いて冷静に対話しながら書くのが新鮮だったし、自分の気持ちも整理することが出来たので、凄く良かったなと思います」
ーー捨てたパンダのぬいぐるみが着ぐるみとなって登場するところがとても可愛らしく、愛おしい気持ちになりました。その発想に至った経緯を教えてください。
「これを言うとバカみたいなんですけど…着ぐるみを使いたかったところが最初でした(笑)。着ぐるみの足元って、匿名性があるのに凄い個性的というか、顔も表情も変わらないくせに自我を持っているっていう。着ぐるみの意志の強さみたいなものがとても好きなんですね。
最初のイメージは、捨てられた物たちが葬列を成して復讐しに来るという、“海辺の葬列”というコンセプトを自分の中で考えていて、その中で自由に動き回るパンダが案内人のような、物語を進める役割として『あいつを懲らしめろ』と日常に雪崩れ込んで来るというようなことを考えていました。最終的にはパンダだけになりましたが」
ーー『夢見るペトロ』『いつもうしろに』両作共に、どことなくホラーの要素を感じたのですが、最初の発想が“復讐をしに来る”ということだったのを聞いて納得しました。
「何かを思い出す時に浮かぶものって、淡い綺麗なものだけじゃないと思っていて。現実の厳しさじゃないですけど、過去にやってきたことに対しても今の自分が責任をとることもそうですし、これから先の自分に対しても、今の自分が責任をとって生きていくべきだと思ってます。そういう『甘くないぞ』っていうわたし自身の強い意思だったり、思いが作品に投影されているのかもしれないです」
ーーなるほど。そういう監督の普段からの厳しい目が作品にユーモアを含ませた恐怖心に繋がっているのかもしれないですね。パンダが遠くから見てるシーンは、本当にホラーでした(笑)。
「着ぐるみを着た京ちゃんが木陰でずっと待機してるんですけど、あれは現場でもちょっと怖かったですね(笑)」