「東京での生活は何にも代え難い経験」
田中さくら監督のライフスタイルについて
ーー田中監督は大学のサークルでも映画を作っていましたが、監督になろうと思ったきっかけはなんでしたか?
「小学生くらいの時に、映像の撮影現場を見たことが直接のきっかけで、映像作品の中に入れる仕事というのが凄く魅力的に映ったんです。小さい頃から写真を撮ったり、ピアノを弾くのが好きで、表現したり共有したいという欲求があったんですけど、それがたまたま映画とマッチしたんだと思います。
映画は、写真よりもはるかに伝えられるものが多いですし、基本的に“自分がその世界にいたい”っていう気持ちが強くあって、”自分の頭の中にある世界を再現したい”という想いがあるので、それが出来るのが映画だったという感じですね。なので、意図して映画を選んだというよりかは、映画というジャンルそのものに魅力を感じて、やってみたらそれまでの自分の歴史と辻褄が合ったという感じです」
ーーなるほど!田中監督はどんな作品がお好きですか?映画に限らず本でも何でも大丈夫です。
「小説だと、宮本輝と江國香織が好きですね。映画はATG映画も結構好きで、鈴木清順にはだいぶ影響を受けました。
あとは、デヴィット・ロウリー監督の『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)という映画があるんですけど、この作品は、残された人がそれとどう対峙するかがテーマで、私はやっぱり“喪失”みたいなものにどうしても興味を持ってしまうところがあるのかなと思います。
あとは、ミカエル・アースの『サマー・フィーリング』(2019)という映画も、残された人がどう向き合うかみたいな話で、『夢見るペトロ』を撮るずっと前に観た映画なんですけど、『ああ、自分はこういうところに興味があるんだなぁ』と、これらの作品を通して気付いたと思います」
ーーご自身の関心が、まさに田中監督が撮る映画のテーマとして反映されていますね!ここからはプライベートな話になってしまうのですが…田中監督はまだ24歳ですが既にご結婚されています。結婚前と結婚後の生活は変わりましたか?
「やっぱり安全地帯があるというところで、だいぶ落ち着きました。無条件に頼っていい存在とか、『ここに逃げ込めば大丈夫』という、“心安らぐ場所がある”ということが支えになっています。
でも、逆に言うと、1人で悶々と考えると色んなことに思いを巡らせることができるけど、すぐ側にいるから喋っちゃうじゃないですか(笑)。そうすると、すぐに解決できてしまうんですけど、複雑でなかなか答えが見つからないものに物語がついてくると思うので、答えのないものに耐えるというか、答えのないものと一緒にいる時間は、意識的に取りたいなって思います。
あと最近は、どんなに近い存在であっても、絶対に触れられない部分や、気付けないことがあるなと思っていて、そういう発見が結婚をしてみて面白いなと思うところです」
ーー何かモノづくりをする上では、1人の時間は凄く大切になってくると思うのですが、では意識的にそういう時間を作っていると。
「そうですね。だから都合いいんですけど(笑)。聞いて欲しい時は喋るけど、作業する時は基本的に1人でという感じになってますね。
田辺・弁慶映画祭で受賞した時が、ちょうど結婚が決まったくらいの時期でした。結婚しても創作活動は何も変わらず続けられると思っていたはずなのに、いざ審査員の大友監督や磯村勇斗さんから『次の長編はいつ撮るんですか?』みたいなことを言っていただいたとき、やや不安を抱いていました。
映画業界に携わる人の中には、結婚という選択を「引退」とか「諦め」と捉える人もいることを知っていたので。それで大友監督に『わたし結婚するんですよね〜』って言ったら、『いや、めっちゃいいじゃん』って。『結婚して価値観も変わるだろうし、子供ができたらもっと変わっていくだろうし、そういう中で、田中さんにしかできない作品が生まれてくるんじゃないですか』と仰ってくださって。自分は自分のことを信じていたけど、やっぱりすごく不安だったので、とても嬉しかったですし、それに凄く救われました。」
ーーとても素敵なエピソードです!ご結婚されて、今は長野に住まわれていますが、東京で暮らしていた時と、生活は変わりましたか?
「大きく変わったと思います。私は屋外広告が凄く苦手だったんですよ。職場が渋谷だったんですけど、大きい音が流れてるじゃないですか。それが本当に苦手で…。あとは常に人がたくさんいるから、別に自分のことを誰も見てるわけではないですけど、渋谷にいると自意識過剰だった中学生の頃に戻る感じがして、しんどかったんですよね。でも長野に来てからは、それが本当に無くなったので、今は会社員として働いてるんですけど、穏やかに過ごせていますね。仕事以外のことでも、日々生きてたらストレスがある中で、環境音みたいなストレスがフワーっと取れた感じがします。
でも人が多くて大変なことと表裏一体で、人がいるからこそ見える景色や、人の営みを感じたり、そういう面白さは都会にしかないなと思います。もちろん長野でも映画は上映されていますが、ニーズのあるものが優先されがちなのでそういった事に関しては、東京に足を伸ばしたいなって思いますね。やっぱりふとした時に入ってくる情報が東京よりも格段に少ないので、完全に狙い撃ちで自分から探しに行かないと情報が入ってこない。そこは結構大きな違いがあると思います」
ーー東京と長野では、どちらの方がモノを作る環境として適してると思いますか?
「東京にいたのは2年くらいでしたが、そこで生活してたのは何にも代え難い経験になっています。文化との距離感は東京の方が圧倒的に近くて、その当事者意識みたいなものを持てたのは凄く良かったなと思います。世に出てるニュースも自分事にしやすかったり、憧れのあの人も2駅先にいるかもしれないみたいな」
ーー最後に本作を観る方にメッセージをお願いします。
「この作品は“立ち止まる”ということへのちょっとしたフックというか、きっかけになるんじゃないかなと思うので、人生の隙間の休憩時間みたいな感じで観に来ていただけたら嬉しいです。今、世界でも日本でも本当に色んなことが起きていて、うんざりすることばかりですけど、『自分にもう一つ世界があると思ったら大丈夫かも』と感じられることもあるんじゃないかなといます。そんなことが伝われば嬉しいです」
(取材・文:福田桃奈)
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