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あ、でもこの白いのにするわ—あの夜を「思いだす」のは誰か? 映画『すべての夜を思いだす』レビュー。清原惟監督最新作を考察

text by 冨塚亮平

第71回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に選出された、清原惟監督最新作『すべての夜を思いだす』が上映中だ。多摩ニュータウンに生きる3人の女性がすれ違い、束の間の時間を共有する野心作の魅力を、映像と音響の細部からひも解くレビューをお届けする。(文・冨塚亮平)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】

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【著者プロフィール:冨塚亮平】

アメリカ文学/文化研究。神奈川大学外国語学部助教。ユリイカ、キネマ旬報、図書新聞、新潮、精神看護、ジャーロ、フィルカル、三田評論、「ケリー・ライカートの映画たち漂流のアメリカ」プログラムなどに寄稿。近著に共編著『ドライブ・マイ・カー』論』(慶應大学出版会)、共著『アメリカ文学と大統領 文学史と文化史』(南雲堂)、『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』(neoneo編集室)。

微細な違和感に満ちた会話や振る舞い
コメディのようでもホラーのようでもある兵藤公美の快演

© 2022 PFFパートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人PFF
©2022PFFパートナーズぴあホリプロ日活一般社団法人PFF

 清原惟監督の長編第二作『すべての夜を思いだす』は、かつて幼少期に監督自身も暮らしたという東京都郊外の多摩ニュータウンを舞台に、それぞれの喪失を抱えた三人の女性が過ごすある一日を切り取った群像劇だ。

 まだ暗いニュータウンの街並みの無機質さを強調するようないくつかのエンプティショットから始まる映画は、冒頭から早くもどこか不穏さを漂わせる。その印象は、朝の公園で練習を行うバンド、ジョンのサンをやや遠方から捉えた次の場面で一旦は後退するが、主人公の一人、知珠(兵藤公美)に焦点が当たることで再び前景化する。

 求職中で、どうやらこの日が誕生日であるらしい知珠は、ハローワークでの面談を終えると、転居を知らせる友人の手紙を頼りに、バスに乗ってはじめてニュータウンを訪れる。街をそぞろ歩く彼女は、先ほどまで笑顔だったかと思えば次の瞬間には驚くほどの無表情となり、一見きちんと相手とのキャッチボールが成立しているようで、よく考えるとどこかがおかしい、微細な違和感に満ちた会話や振る舞いを繰り返す。

 一筋縄ではいかないコメディエンヌとしての存在感が見事に発揮された、どこか情熱のフラミンゴの公演「ちょっとまって」や「ドキドキしていた」での彼女を思い起こさせもする兵藤公美の快演は、コメディのようでもホラーのようでもある、映画全体のトーンを規定するような魅力に溢れている。

 なかでもまず特筆すべきなのは、バスを降りた彼女が和菓子屋で知人と再会する、何気ない一連の場面である。

 知珠がたまたま目にとまった和菓子屋に入ると、そこに近くに住む知人の女性がやって来る。二人の間につかの間漂った気まずさを打ち消すかのように、女性は画面左のカウンターに陳列された和菓子の一つを指差し、「これ、美味しいよ」と薦める。

 知珠は棚をじっくりと覗きこみ、思わず笑うしかない絶妙な間をとった後で、彼女に向き直って改めて「どれ〜?」と問いかける。「これこれ」と改めて指差す彼女に知珠は、「あ、これ?」と返すのだが、彼女はその答えを否定する。カメラは陳列棚に寄り、彼女は「ううん、これ、こっちの」と改めて菓子を指差す。

 二人はそれぞれ何度も菓子を指差すのだが、その都度互いの認識はすれ違い続ける。「この、茶色いの?」「ううん、このピンクの」「ああ、これ」「これ、いちごクリームが入っててすごく美味しいの」「へえ〜〜」。二人の指す「これ」はここでようやく一致する。

 しかし、一呼吸置いた知珠は最後に唐突に「あ、でもこの白いのにするわ」と告げる。その瞬間カットが割られ、結局白い菓子を購入した知珠と知人が、ともに偶然の再会を喜んでいるようには全く見えない無表情で店外のテラス席に座っているシーンが続く。

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