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「ちゃんとコントロールされているけど自由さもある」
蘇鈺淳監督の世界観について

©2023 東京藝術大学大学院映像研究科
©2023 東京藝術大学大学院映像研究科

―――あのシーンに顕著ですが、この映画は、山本さん演じる桐子が何かを見ている、その表情を眺めているだけでも楽しめます。初期のゴダール作品におけるアンナ・カリーナや、トリュフォー作品に出てくるジャン・ピエール・レオーを想起しました。あの人たちが撮る映画の自由さに近いものがあるなと。

「嬉しいです」

―――桐子が序盤で浜辺に座って「撮りたいな」って言うシーンがあるじゃないですか。現場で山本さんの視線の先には水平線が見えていたと思うんですけど、カメラはそれを映さない。でも、山本さんの眼差しと言葉でそれが表現されている感じがします。

「確かに蘇監督の撮り方ってそうですよね。そこは見せないですよね。見せないって意識してやってんのかな、どうなんだろう。

個人的には、コメントでも出したんですけど、この映画には眼差しって言葉がすごいしっくりくると思っていて。それは私の眼差しであると同時に、監督の眼差しでもあって。さらに言うと登場人物みんなの眼差しが感じられるものになっているなと」

―――映画館のシーンから始まるのもあって、スクリーンに向かい合う観客一人ひとりの眼差しもそれに加わるかもしれませんね。実家から貯金箱を持って帰ってきて、リビングでお金を数えるシーンでは、スマホの画面に映るメーちゃんではなく、目の前の猫を見ながら「こういうのってどうにかなるもんじゃないの?」と言いますね。

「あのシーンは偶然、猫がこっちを向いたんですよ。それでなんかムカつくと思って(笑)。あのシーンでも桐子として普通にその場にいて、動いたものに反応した結果、このような芝居になったのだと思います。

でも、なんかずるいですよね、猫って。自分が逃げたい時に逃げて、戻ってきたい時に戻ってきて」

―――猫がフレームに収まるサマが本当に奇跡みたいでした。

「そうそう。あの時は私と猫が向かい合う形になったけど、猫ちゃんがカメラを見ちゃうテイクとかもあって。それも許されちゃう世界観っていうか。

蘇監督の作品って、ちゃんと生活を切り取ってはいるけど、確実にフィクションでもあって。ちゃんとコントロールされているけど自由さもある。そこがすごく良いなって思いますね」

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