雑誌の「袋とじ」から見える
日本人の隠蔽体質と奥ゆかしさ
―――本作を観て、雑誌の「袋とじ」のことを、“Japanese Style”と呼ぶことを初めて知りました。
「一般的かどうかはともかく、一部の文化圏ではそう呼ぶそうです。最初にそれを知ったとき、日本人特有の隠蔽体質を鋭く言い当てていると思ってギョッとしました。例えばアメリカであれば、トランプ大統領が出馬するとなると過去のスキャンダルとかバンバン出るし、その上で支持する人は支持するという、オープンなところが凄くある。一方、日本の場合、汚職から何までオブラートに包むというか、隠蔽して見えないようにするところがある。海外の友達に聞いたら、そもそも海外には『袋とじ』はもちろん、成人雑誌をビニールで包むといった文化が基本的にないらしいです」
―――本作では日本人の閉鎖的な部分に批判的な視線を向けると同時に、日本人特有の“奥ゆかしさ”に対する愛もすごく感じました。単純に“日本人最低、外国人最高”という話ではまったくない。
「嬉しい意見ですね。後半に、界人君演じる主人公が『日本人なんて…』という言葉を繰り返すシーンがありますが、どんなに『嫌だ、嫌だ』と言ったって、結局は日本人であることからは抜け出せないんですよね。スタジオジブリの鈴木敏夫さんは、『となりのトトロ』(1988)を作った際に、『自分たちの生まれ育った国を自分たちの手で誇れるものにしていこう』といったコンセプトを立てていたと、著作を通じて知り、感銘を受けました。本作の撮影時期もそうだったし、僕は今でも日本人であることのコンプレックスに悩むことはあります。でも、きっとこのコンプレックスと向き合い続けるしかないのだと思いますね」
―――吉村さん演じる主人公と武田梨奈さん演じるヒロインの、つかず離れずの関係性にも日本人ならではの“奥ゆかしさ”があって、とても魅力的でした。
「もしハリウッド映画だったら、中盤あたりでキスぐらいしていると思います(笑)。男女の関係と一口に言っても様々な形があって、日常的にフレンチ・キスをし合うような関係もあれば、体の関係を結ぶ場合もあるし、お話だけする友人関係である場合ももちろんある。日本では、例えば、田舎のおばあちゃんが『大学だけは行け』ってしつこく言ってきたり、『お隣さんに顔向けできひんわ』という紋切り型の小言があったり、良くも悪くも、体裁を気にするところがある。男女関係への眼差しにも同じようなところがあって、『男女関係はこうあるべき』という固定観念が強かったりするのですが、“恋人未満・親友以上”とか、もっとグレーゾーンの関係を増やしていってもいいのではないでしょうか。そのような希望も作品に込めましたね」
―――アベラ監督が「アメリカで生まれた日本人」であるというアイデンティティの二重性が、本作のテーマである“Japanese Style”への眼差しをユニークなものにしていると感じました。
「きっとそうだと思います。僕が帰国して小学校に上がってからも、父はずっとアメリカに住んでいました。夏休みにアメリカの父の家に一人で泊まりに行ったこともあります。小学校2年生の頃だったでしょうか、アメリカに着いた初日の晩、一人で大旅行してきた僕に、父はどんな食事を振舞ってくれるのか、楽しみにしていました。答えは何だと思います? インスタントの日本食の出前だったんですよ(笑)。父はアメリカ国籍も取っていて、現地で生活して長いのに、もうほんまに日本人の食事をしていた。コタツがあったらもう日本やんっていう(笑)。話が逸れましたが、日本人の国民性に抱くふとした違和感とか感受性、斜めから見てしまう癖は、自分のアイデンティティと深く関わっていると思いますね」