個人の欲望が生み出す「ボランティア」という社会病理
そして、物語が進んで児童虐待だけでない社会病理がきっちりと描かれる。筆者は推薦コメントで「毒親との解決策は、逃げるか殺されるかの二択」と書いた。これは紛れもない事実だ。親が毒親だった場合、親子関係の修復、想い想われる一般的な親子関係に戻ることはありえないので、子どもは生きるために逃げるしかない。
本作で杏も生きるために逃げた。制度を頼りながら信頼できる人間関係を築き、文字を覚え、働いて自立しようとするが、そう順調にはコトは運ばなかった。
入江監督が底辺の現実として投入したのは、弱者に手を差し伸べる左翼的な支援者が欲望まみれという事実だ。誰かを助けたい、役に立ちたい、社会をよくしたいというのは良心や善意でなく、個人の欲望であることがほとんどだ。実際にみなさんが尊敬している支援者や社会活動家も、建前を取り払えば、どんな人物かわかったものではない。
そして、杏が頼った支援者による支援活動も順調には進むことはなく、裏切られる。家族以外の人間関係を持つことで傷が少しずつ癒えて、回復に向かっていたが、急ブレーキがかかって最悪な絶望にまっしぐらとなる。