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伝説のレスラーの誕生から伝説まで

アントニオ猪木
アントニオ猪木モハメドアリ戦Getty Images

家業の都合で、ブラジルに渡り、移民として生活したブラジル・サンパウロから、物語が始まる。わずか13歳の頃だ。1年半という労働契約の下、コーヒー農場で過酷な日々を過ごした少年期の猪木。そんな彼を知る現地の人々が述懐する。その後、力道山に見初められ、17歳の時に単身帰国。日本プロレスに入団し、「プロレスラー・アントニオ猪木」が誕生する。

同期入団は、後に袂を分かち、終生のライバルでもあったジャイアント馬場だ。

些細なボタンの掛け違いから、1971年、猪木は日本プロレスから追放処分を受けてしまう。そして翌年、新日本プロレスを旗揚げ。大田区体育館で行われたこの興行のメインイベントは、“プロレスの神様”ことカール・ゴッチとの一騎打ちだ。

テレ朝での中継も決まり、徐々に団体経営を軌道に乗ると、元国際プロの顔だったストロング小林との日本人対決を制する。

また、「プロレスこそ最強の格闘技」とストロングスタイルを標榜し、パキスタンの英雄アクラム・ペールワン、“熊殺し”と呼ばれた空手家ウィリー・ウィリアムスとの対戦など、異種格闘技路線への挑戦を続ける、その集大成がボクシングの統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ戦だ。当時はその試合内容が酷評されたが、はるか後の総合格闘技ブームに繋げている。

長年、猪木をファインダー越しに追い続けてきた写真家の原悦生と、ファンである俳優の安田顕が、数々の猪木のポートレートに囲まれる中、エピソードを語り合う。

さらに、新日本で運命を共にした藤波辰爾、藤原喜明が、猪木という人物の表と裏を語り、さらに現在の新日本を引っ張るオカダ・カズチカ、棚橋弘至が、二度と会うことが叶わない偉大なる先人への思いを吐露する。

特に藤原へのインタビューでは、本人が「ウーロン茶だよ」とうそぶきながらウイスキーを飲み、猪木にまつわるエピソードの数々の虚実を、話せる範囲ギリギリで語る様子は、観る側の想像をかき立て、今更ながらワクワクさせられる。

また神田伯山は、伝説となった1991年12月の「巌流島の決戦」のマサ斎藤戦を、さながら、その闘いが今、行われているかのような講談に仕立ててみせる。

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