「器官」としての世界―
岡田が描く「セカイ系」の新局面
あらすじからも分かるように、本作は新海誠作品などに代表される「セカイ系」(若い男女の恋愛関係が社会という中間項をすっ飛ばし世界の命運に直結するファンタジー)の一種だ。しかし、本作が他の「セカイ系」作品とは決定的に異なる部分がある。それは、作中の世界を破壊するのに手続きを必要としていない点にある。
新海作品と比較してみよう。例えば、『君の名は。』(2016年)の場合、主人公の瀧は、彗星の落下から三葉たちを救うため、三葉の故郷を訪れ、避難を促すよう三葉に時空を超えて語りかける。『すずめの戸締まり』(2022年)では、宗像が日本各地の災害を食い止めるべく、各地を行脚し、戸締まりを行っている。また、「セカイ系」に含めてしまうのは議論の余地があるものの、『天気の子』(2019年)に登場する「晴れ女」天野も祈祷という手続きを通して天候を左右していた。
一方、本作『アリスとテレスのまぼろし工場』に登場する世界は、これほど分かり良いものではない。正宗や佐上が恋愛感情を抱いたり、失恋したりするだけで世界にはヒビが走り、ボロボロと崩壊していく。本作に登場する世界は、恋愛関係ではなく、見伏町の町民たちの感情や情動と深く結びついている。つまり、それは身体の一部であり、自律神経によって駆動する「器官」なのだ。
そんな「器官」としての世界を印象深く描いているのが、中盤の正宗のキスシーンだろう。正宗たち2人がしんしんと雪がそぼ降る駐車場に寝っ転がり、熱い抱擁を交わしたその時、世界にヒビが入り下界の景色があらわになる。寒々しい冬空の向こうに雲一つない夏空が広がり、雪は徐々に雨に変わる―。鳥肌が立つほどエモい描写だ。