「ことば」が届かなくても、心に響く…。珠玉の映画『ぼくのお日さま』考察&評価レビュー。池松壮亮&若葉竜也の共演作を解説
映画『ぼくのお日さま』が公開中だ。本作は、吃音により言葉が伝えられない少年が、音楽とスケートを通じて他者と心を通わせていく様子を描いている。映画に込められた「お日さま」の意味、作品の見どころを登場人物たちの心情を通して解説する。(文・前田知礼)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
※このレビューでは映画の結末部について言及しています。
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【著者プロフィール:前田知礼】
前田知礼(まえだとものり)。1998年広島県生まれ。2021年に日本大学芸術学部放送学科を卒業。制作会社での助監督を経て書いたnote「『古畑任三郎vs霜降り明星』の脚本を全部書く」がきっかけで放送作家に。現在はダウ90000、マリマリマリーの構成スタッフとして活動。ドラマ「僕たちの校内放送」(フジテレビ)、「スチブラハウス」、「シカク」(『新しい怖い』より)」(CS日テレ)の「本日も絶体絶命。」の脚本や、「推しといつまでも」(MBS)の構成を担当。趣味として、Instagramのストーリーズ機能で映画の感想をまとめている。
言葉にできない想いを音楽で伝える
「ぼくはことばが うまく言えない」そんな歌詞から始まる、ハンバート ハンバートの名曲「ぼくのお日さま」では、吃音をもつ「ぼく」の心情が淡々と歌われる。
言葉がうまく言えない「ぼく」は「歌」が好きで、いつも音楽に救われている。「だいじなことを言おうとすると こ こ こ ことばが の の のどにつまる」文字で見ると吃音の症状の1つである「連発」だが、メロディに乗せれば「ド・ド・ドリフの大爆笑」や「どどどどどどどどど ドラえもん」のようなアレンジにも聞こえる。
音楽に乗せればコンプレックスも歌の一部になる。つまり、「ぼく」にとっての「お日さま」は「音楽」で、「ぼく」は「音楽」によって自分の思いを届けているのだ。
同曲が主題歌で同名タイトルの映画『ぼくのお日さま』は、日々を、人生を照らす「お日さま」にまつわる映画だ。もとの楽曲の「ぼく」と同じように、吃音を持つ小学6年生のタクヤ(越山敬逹)は、雪の積もった冬のある日、猛烈な光を放つ「お日さま」に出会う…。フィギュアスケートの練習をする少女・さくら(中⻄希亜良)だ。