浅野いにおのリアリズムと文学性
「現実」はすべて綺麗に物事が収まるわけではないのだ。この「リアリズム」こそが浅野作品の特徴であり、そこに文学性が宿る。
世界が滅亡する世界線でGUFU(米国のIT企業大手4社を示す造語・GAFAがモチーフ)に実質支配される日本社会。過度な情報統制と、暴走殺戮マシーンと化したAIロボット。そんな状況下でもオンラインゲームに課金する若者たち……いやはや、読んでいて痛快だ。浅野いにおのリアルな人間像と、凄惨なディストピアとの対比がシュールに描かれていて楽しい。
また「滅亡する世界線」と「普通の世界線」の凰蘭の性格の違いを描くのもいい。凰蘭はいじめられていた門出を救うためにトリッキーな言動・行動をする個性を身に着けた。しかし、何もなければ控えめで無邪気な普通の女の子なのである。
ちなみに本作ではたびたび花沢健吾先生(代表作は大泉洋主演で映画化された『アイアムアヒーロー』)が登場する。が、最終巻では超めんどくさい漫画家として門出の企画を容赦なくボツにする。「あの野郎、ゾンビ映画で一発当てて調子に乗ってやがる……」という門出の愚痴に笑ってしまった。
滅亡した世界線で門出パパ一行が新日本調和(宇宙人を保護する団体)に助けを求めるシーンは、まさに『アイアムアヒーロー』のオマージュだと思っている。こうしたメタ的な小ネタも楽しい。