カメラに向かってまっすぐに発せられる
新垣結衣“槙生”のコアビタシオン(共存)宣言
「“たらい” って どうやって書くんだっけ?」
耳元のノイズに溺れてパニックに襲われた中学3年生のクエスチョンに対して、やさしくいたわる口調ではまったくなく、コーチのような毅然とした口調で、槙生の早口がまくし立てる。ヤマシタトモコの原作漫画『違国日記』の冒頭、読者全員の心をいっきにかっさらっていった、槙生の演説がとうとう現実の俳優によって、それも現代を代表する俳優である新垣結衣の口寄せによって、カメラに向かってまっすぐに発せられるという、至極の映画体験――
「朝。私は、あなたの母親が心底嫌いだった。死んでもなお憎む気持ちが消えないことにも、うんざりしてる。だからあなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は、決してあなたを踏みにじらない。もし帰るところがないなら、うちに来たらいい。今夜だけじゃなく、明日もあさってもずっとうちに帰ってきたらいい。それから“たらい” は、臼に水を入れて、下に皿を敷く、と書く。盥回しは、なしだ」
まるでカメラのこちら側にいる私たち観客に向かってまくし立てているかのごとき鋭い視線をこちらに投げかけながら、吐き出されるコアビタシオン(共存)宣言。孤児になったばかりの姪の返事は、簡潔である。
「いっしょに 帰る…」
朝の返事にうなずく槙生、ビールを飲み干し、グラスを乱暴に置く。コアビタシオン、秒での締結である。次のカットは日没後、葬儀帰りの槙生と朝。どうやら槙生のマンションに向かっている。途中で無印良品かKEYUKAあたりに寄って購入したらしい布団セットを、朝は提げて歩く。
映画は映像と音響だ。そこからあらゆる状況を作り出す。幸福も、絶望も、孤独も。そしてそれらの喪失や処方箋すら。布団セットを提げて夜道を歩く2人の女性に追っつけたパン。両親の事故死という、最大の不幸に見舞われてまもない中3少女を、この夜道の歩行ショットが言葉ひとつすらなく救助している。