「人生はしょせん、長めのホームステイ」
瀬田なつきの過去作を想起させる細部の数々
瀬田なつきの映画はこれまで多くの乗り物によってリズムを変速させてきたように思う。自転車、バス、モノレールなど。そして道路、橋、階段。瀬田なつきだけの地理学があったように思う。今回、それがもっぱら歩行によって跡づけられる。先述の葬儀帰りの帰宅シーンの布団セットもそうだが、朝、槙生、醍醐の3人の歩行が、たった数ヶ月前の悲劇を包み込む。槙生は小説、おもにライトノベルを執筆して生活している。朝は下北沢の本屋B&Bでの槙生のサイン会イベントに行列するが、槙生の男性の影に気後れし、サインを回避して立ち去る。その時の朝の歩行の寂しさは、すでに両親の死にまつわるものではない。
朝にとって槙生との新生活は、それまでの娘としての生活とはまるで別世界で、彼女はその生活を「違国」と評する。違うということ――好きとか、嫌いとか、良いか、悪いかではなく、違うということ。違うという前提において、朝と槙生は共にここにいる。それがいつまで続くのかということではない。それはかりそめの共同生活であるかもしれない。今年から始まる高校生活は槙生とともにいるが、遠からず朝は自立するかもしれない。あるいはこのパートナーシップは永遠に存続するのかもしれない。それはわからない未来である。
瀬田なつきは前作の『HOMESTAY』(Amazon Primeオリジナル)で、主人公シロ(なにわ男子の長尾謙杜)に「人生はしょせん、長めのホームステイ」と言わしめていた。それは朝と槙生も同じことだろう。ホームステイとはつまり本質的には、長めのアウェーを、ホームとして錯覚することである。長め=眺めとしての錯覚を、果敢に引き受ける。
中学時代に合唱部だった朝は、高校入学後は軽音学部に入部し、ベース、作詞、ヴォーカルを担当する。同学年の友・えみり(小宮山莉渚)、三森(滝澤エリカ)、森本(伊礼姫奈)の3人がそれぞれにすばらしい。特に三森を演じた滝澤エリカは、『ジオラマボーイ・パノラマガール』の主人公・ハル(山田杏奈)の級友・カエデを演じていたから、カエデの再来のように思える。