「自分のために歌う歌」と「人のために歌う歌」
『スワロウテイル』では主演のアーティスト役をCharaが演じ、『リリィシュシュのすべて』では、作中に出てくるアーティストをSalyuが演じている。演技の経験が乏しい歌手をあえて起用することで、偽物ではない本物の歌声を映画館に響かせたいという狙いが伝わる。
さらに、それに加え、芝居に不慣れな歌手を主演に据えることによって、演技によって取り繕われていない、人間の生々しい部分を描きたいという岩井俊二の欲望が透けてみえる。
それは『キリエのうた』にも十分感じられる。今作では、キリエ自身が自分のために歌う歌と、人のために歌う歌と、2種類の歌い方が確認できる。ラストにかけては、ほとんど人に聞いてもらうための歌だ。
「私のためだけに歌って」とイッコのために海辺で歌うシーンでは、初めこそイッコのために歌っていたが、次第に声が大きくなり踊り出し、世界全体に歌声を届かせようとしているかのようだ。このシーンで、キリエの「自分のために歌う歌」と「人のために歌う歌」は一つに融合する。
キリエの歌は、イッコの心を浄化すると同時に、彼女に「私はキリエのようにはなれない」という諦念をもたらしもする。また、キリエ自身は自分を解放するために歌ってもいるのだろう。このシーンの素晴らしさは、音楽の力によって、その場に存在する複数の感情を余すところなくすくい取っているところにある。
また、このシーンは、今作のクライマックスであるのみならず、人間の生々しい感情に光を当てる岩井俊二のこだわりが、これまで以上に見事に具現化された場面として、彼のフィルモグラフィーの中でもひときわ輝きを放つものになっていると筆者は感じた。
また、先に述べた通り、このシーンでキリエは海辺でイッコのために大声で歌いながら、途中からバレエを踊り出す。
キリエの回想シーンでもバレエをする描写が何度かあるため、声が出せない彼女は幼少期の頃から、喜び、あるいは大きな不安があるとき、踊ることで、心をコントロールしていたことが読み取れる。このシーンでは、キリエの踊りを通じて、彼女の中で言語化できないほど大きな感情が動いたということが、ダイレクトに表現されているのだ。
178分という長尺な上映時間だが、ひとつひとつの表情や人々の琴線に触れるアイナの歌声に身を浸し、劇場で存分に味わってほしい。
(文・タナカシカ)
【作品情報】
『キリエのうた』
監督・脚本:岩井俊二
原作:岩井俊二
音楽:小林武史 主題歌 「キリエ・憐れみの讃歌」Kyrie (avex trax)
出演:アイナ・ジ・エンド 松村北斗 黒木華 広瀬すず 村上虹郎 松浦祐也 笠原秀幸 粗品(霜降り明星) 矢山花 七尾旅人 ロバートキャンベル 大塚愛 安藤裕子 鈴木慶一 水越けいこ 江口洋介 吉瀬美智子 樋口真嗣 奥菜恵 浅田美代子 石井竜也 豊原功補 松本まりか 北村有起哉
製作プロダクション:ロックウェルアイズ
配給:東映
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