迫真のアクションシーンから垣間見える
東映アニメーションの本気
ディテールの描写もとにかく攻めまくっている。
まず、主人公の水木は、冒頭からラストまでタバコを吸いまくっており、電車の中での喫煙シーンや、タバコを当たり前のようにポイ捨てするシーンも登場する。本作の舞台となる1954年は電車内でタバコが吸えたとはいえ、コンプライアンスの厳しい今の時代によくこの描写が通ったものだと感心してしまう。
ゴア描写(血がどばどば出るシーン)も容赦がない。テレビ版の第6期では少し控えめだったゴア描写だが、映画ということでタガが外れたのか、全編にわたってえぐいシーンが盛りだくさんだ。龍賀一族の惨殺シーンやうずたかく積まれた幽霊族の死体は、子どもが見ればトラウマになること必至だろう(正直PG12でも甘いのではないかと思ってしまう)。
また、哭倉村のシーンでは、私宅監置や男尊女卑、近親相姦など、閉鎖的なムラのエグい因習がこれでもかと描かれるほか、さらに、水木の回想シーンでは、太平洋戦争での生々しい戦争体験が描かれる。こういった描写は、おそらく大人でも耐性がないとキツいだろう。
とはいえ、見どころはおどろおどろしさだけではない。本作には、水木と鬼太郎の父との「バディもの」の要素も盛り込まれている。
主人公の水木は、最初、出世への野心を胸に哭倉村を訪れる。しかし、そんな欲深い水木が、鬼太郎の父との出会いを経て徐々に変わっていき、最終的には2人で“最大の敵”に挑む。戦闘中、鬼太郎の父が水木を「相棒」を呼ぶシーンは、観客の涙を誘うこと請け合いだ。
そして、最大の見どころは、鬼太郎・水木コンビのアクションシーンだろう。特に、鬼太郎の父の戦闘シーンでは、輪郭線が波うつように流動し、躍動感を演出する。この演出には、近年のアニメーション作品でも見られない迫力が感じられ、長年にわたり鬼太郎のアニメ映画を手掛けてきた東映アニメーションの本気が感じられる。