人間のエゴと怨嗟の果てに生まれた
鬼太郎という微かな“希望”
本作の舞台となる1956年は、政府が「もはや戦後ではない」と宣言した年として知られており、戦後の復興期から高度経済成長期に向かっていく節目の年でもある。こういった当時の日本の空気感は、作中でも反映されている。
東京からやってきた水木は、村から一度も出たことがない時貞の孫、時弥に建設中の東京タワーの話をする。そして、将来はテクノロジーが発達しどんな病気も治せる時代がやってくると目を輝かせて語る。しかし、それを盗み聞きしていた鬼太郎の父は、単なるおためごかしだと一蹴する。
東京タワーといえば日本の戦後復興のシンボルであり、先述の山崎の代表作『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)では昭和ノスタルジーのシンボルとしても登場する建築物でもある。しかし、鬼太郎の父は、戦後復興や日本の繁栄が実は「欺瞞」であると喝破するのだ(実際、東京タワーの鉄骨には朝鮮戦争で使われた戦車が使われている)。
水木はこれまで、『地相眼』や『原始さん』、『一番病』など、妖怪という「人間の他者」の目から人間の飽くなき欲望や幸福の裏側にあるエゴを描いてきた。水木と時弥のこの会話には、こういった「高度経済成長期の裏側」を鋭く見抜く「水木イズム」が感じられる。
また、本作では、エンドロール後にタイトルクレジットが表示される。こういった演出は近年珍しくないが、これまでの解説を踏まえればこの演出にも明確な意図があることが分かる。
この演出は、まずは鬼太郎が幽霊族の生き残りという宿命を背負っていると同時に、龍賀一族が生み出した無数の怨念を弔い、調伏する使命を負っていることを意味している。
そして、作中の時代設定である1956年は、戦場で地獄を見た水木しげるが漫画家デビューする2年前にあたる(そもそも本作は、水木の生誕100周年記念として作られたわけだから、鬼太郎作品というよりは水木作品なのだ)。
これは、鬼太郎が近代日本の負の連鎖の中から生まれたキャラクターであることを示している。つまり鬼太郎とは、歴史の中で忘れられていった怨念を弔う者であるとともに、怨念の連鎖の中から生まれた微かな“希望”なのだ。
周知の通り、日本はその後1980年代のバブル景気を経て再び長い低迷期に陥っている。さらに、2020年代以降は、東アジアの緊張の高まりから「新しい戦前」と言われる時代に突入している。
そういった意味で、本作は今を生きる日本人こそが見るべき作品であるのは間違いない。そして、人類が新たな怨嗟を生み出し続ける限り、鬼太郎の弔いの旅は続くのかもしれない。
(文・司馬宙)
【作品概要】
原作:水木しげる
監督:古賀豪
脚本:吉野弘幸
出演:関俊彦、木内秀信、沢城みゆき、野沢雅子
製作:映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」製作委員会
配給:東映
©映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」製作委員会
2023年製作/104分/G/日本
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