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視覚的に明示されるコメディとメロドラマの「混合」

©JOKER FILMS INC.
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 床屋からの帰路にトワが暮らすテントに立ち寄った園子は、園子の家へのトワの反応とは対照的に、すぐに同僚に連絡して家を探すよう薦める。このあたりから、周囲の戸惑いをよそに絶妙なハーモニーを奏でてきた二人の仲に、徐々に不協和音が混じり出すこととなる。そしてある日、不吉な夢を見た後で、彼の心理状態を過剰に強調するかのような嵐によりトワの住むテントは吹き飛ばされてしまう。この象徴的な出来事を境に物語は一気にメロドラマへと転調する。

 彼は再び園子の部屋を訪ね、彼女はトワを介抱するものの、どこか様子がおかしい。翌日、決意を固めた園子は部屋を飛び出し、迎えにきた男の車に乗り込む。そう、彼女には夫がいたのだ。突然の告白に納得できないトワは車に乗り込み、園子と夫とともに彼女の本当の自宅へと向かう。夫からの説明を受けようやく事態を受け入れたトワもまた、ニュースを読み上げながら家を飛び出す。

 この劇的な展開で映画は俄然盛り上がりを増すのだが、一方で作り手側の不安が透けて見えるような演出には疑問が残ったのも確かだ。メロドラマの女性主人公が、観客の安易な理解や共感を拒むような人物として造型されることは決して珍しくない。だが、本作の前田と高田は、彼女が既婚者であるにもかかわらず一人で暮らしていた理由、さらにはトワが常にニュース記事を持ち歩き、それを読み上げることで落ち着きを取り戻している理由を、丁寧に言葉で説明してしまう。

 高田らは、勝手知ったるコメディと異なり、とりわけ若い観客がどこまでメロドラマに典型的な突然の転調、変化についてきてくれるのかはっきりしないからこそ、主人公たちの突飛な行動の背景をわざわざ他の登場人物に語らせたのかもしれない。

 あるいは、二人が互いに抱く好意が、見かけの印象とは異なり単純で純粋なものとも言い切れないことを分かりやすく示したかったのかもしれない。いずれにせよ、一義的に正解を確定させてしまうような説明は、映画から誤読を含む豊かな解釈の可能性を奪う悪手でしかないだろう。

 一方で、この一連の場面には、説明的なセリフとは別のレベルで優れた演出が施されてもいる。園子とトワはそれぞれ相手と共有していた空間から走って飛び出すが、その際にはいずれも画面右から左への動きが強調される。何度か現れる二人の横移動が印象的に捉えられる長回しショットはおそらく、この映画でコメディとメロドラマの「混合」がどのように行われているのかを視覚的に明示する役割を果たしているだろう。

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