男の欲望とその美学の「愚かさ」を描く
20名を優に超える男たちがスクリーンを躍動する本作において、明智光秀×荒木村重×織田信長の三角関係に根ざしたホモセクシュアルな欲望(エロス)は、「誰もいなくなるまで殺し合う欲望」(タナトス)と表裏一体となって観る者に差し出される。
男たちはもちろん、「天下統一」という大義名分のために行動するわけだが、その目的自体、「すべての人間を血まみれにして、誰もいなくなった世界で首を切って死にたい」という終盤の信長のセリフによって空虚の烙印を押される。目的が空虚化されることによって、登場人物たちの行動は、どこかゲーム(遊戯)めいて見えてくる。それは過去の北野武監督作品に通底するポイントである。
また、これまでも、北野武の映画では死を前にした男たちが切り結ぶ濃厚な関係(『ソナチネ』)を描いてきたが、セクシャルな愛の介在は巧妙に避けられていたように思える。それが本作では堰を切ったように顕在化しており、その点、北野武のフィルモグラフィーにおいて、きわめて特異な作品であると言えるだろう。
ところで、本作を観て、真っ先に連想した映画は、大島渚の遺作となった『御法度』(2000)であった。周知のとおり、男性共同体である新選組を男色の視点で描いた時代劇である同作に、北野武は重要な役で出演している。
多様性が尊ばれる現代において、徹頭徹尾、男の欲望と男の美学に根ざした本作を反動的だと見る向きも当然あるだろう。しかし、本作ほど、男の欲望とその美学の「愚かさ」を徹底的な描き込んだ作品はそうそうお目にかかれない(もちろんそこには、北野武の容赦のない自己諧謔=自虐ネタが伴っている)。その点、『アウトレイジ』シリーズにも増して、「今、観るべき」現代的な作品に仕上がっていると言っていいだろう。
(文・山田剛志)