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思わぬ角度からついてくる現代社会の問題

Ⓒ2024「もしも徳川家康が総理大臣になったら」製作委員会
Ⓒ2024もしも徳川家康が総理大臣になったら製作委員会

 とここまで書くとローマの公衆浴場職人が現代の日本の温泉や銭湯に現れてアイデアを得ていく映画『テルマエ・ロマエ』(2012~)や、東京と隣接していながら圧倒的な差別に遭う埼玉県人の蜂起を描いた映画『翔んで埼玉』(2019~)を手掛けた武内英樹監督らしい、パブリックイメージを誇張したコメディ映画と思われるだろう。

 もちろん、特に映画の前半は歴史上の偉人の現代におけるパブリックイメージを活かしたギャグが連発される。

 財務大臣を務める豊臣秀吉は、経済産業大臣を務める織田信長に頭が上がらない。厚生労働大臣の徳川綱吉と農林水産大臣の徳川吉宗は江戸幕府の開祖であり、東照大権現として神格化された徳川家康にはひざを折って頭を下げる。

 さらに、綱吉は現代の日本では“犬公方”と呼ばれてある意味“嘲笑の的”になっていることに頭を悩ませ、吉宗は自分が暴れ者ではないのに“暴れん坊将軍”と呼ばれて困惑している。このように、前半部分は笑いを誘う部分で構成されている。

 ところが、本作はある偉人に隠された思惑があったこと、偉人内閣誕生の影にある秘密があったことが明らかになる中盤以降から物語のテイストがガラッと変わっていく。

 思わぬ陰謀劇が張り巡らされ、偉人内閣と徳川総理大臣は窮地に陥るのだ。

 そこで描かれているのは現在の日本における政治への無関心、政治や政府に期待しない民衆心理を映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』は、思わぬ角度からから浮き彫りにするのだ。

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