「ムシ」と名乗る少年との邂逅
この物語は、貴瑚が家を出てから、生きづらい社会や人間関係の難しさを知り、見ず知らずの土地に身を置くまでに何があったのかを描く回想録的なストーリーだ。
貴瑚は、その土地で母親から「ムシ」と呼ばれ、DV被害の後遺症からか、話すことのできない少年(桑名桃李)と出会い、その母・品城琴美(西野七瀬)から匿う。琴美は既に、元カレとの子である自分の息子に興味はなく、ネグレクト状態で、風呂にも入れず、髪も伸ばしっぱなしだった。
貴瑚は少年を風呂に入れようと衣服を脱がせるが、その体は傷だらけ。虐待があったのは明らかであり、母親の元に戻すことは命にかかわると確信し、警察や児童相談所への通報をしないことを決意。その思いを琴美にも伝えるが、散々悪態をつかれた挙げ句、別の男性とともに姿を消す。
このシーンでは少年の体に傷があっただけではなく、貴瑚の腹部にも傷跡があることが分か離、その傷には彼女の人生に関わる重大な事件が関係していることが後に分かっていく。
貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分を救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こす。
片や、そのアンさんは独り、ホルモン注射を自らに打つ日々を送っていた。アンさんはトランスジェンダーだった。貴瑚とアンさんは互いに惹かれ合いながらも、恋仲になることがなかった理由はここにあったのだ。
貴瑚が“52ヘルツのクジラ”の話をしていた際に、少年に名前を問うが、彼は、自らの名すら知らない。そこで「自由に名前を付けよう」ということになり、少年は貴瑚が紙に描いた「52」の部分に丸印を記す。名前とは程遠いものだが、おそらく人生で初めて自らの意思を示したであろうその行動に敬意を込め、その後、彼をそう呼ぶことに決める。