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「人間」と「人間ではないもの」
私たちと彼らの間にある境界線

映画『月』
C2023月製作委員会

本作の人間関係には、至る所に境界線が横たわっている。

中でも、本作のテーマとダイレクトに関わってくるのは、「人間」と「人間ではないもの」の間の境界線だろう。

「人間である」私たちと、「人間ではない」彼/彼女たち―。さとくんは、本来同じであるはずの人間にあえて線引きすることで、自身が「正常」であることを自分に言い聞かせようとしている。

彼が線を引く上で決め手となるのが「声」だ。現に、彼は施設を襲撃したシーンで、「話せるか話せないか」で殺すかどうかを決めていく(彼の彼女はろう者で会話ができないが、「手話」によるコミュニケーションが可能だ)。

つまり、彼にとっては、「コミュニケーションが取れない者=人間の心がないモノ」なのだ(こういった描写は、古代ギリシャ人が異民族を「バルバロイ(不可解な言葉を話す者)」といって差別したり、関東大震災時、自警団が「十五円五十銭」と言えるかどうかで日本人と朝鮮人を判断していたりといった出来事を連想させる)。

そして、彼は、洋子や洋子の夫である昌平(オダギリジョー)に、2人が「同じ人間である」ことを切々と説く。その姿はまるで「月」の光の中、水面に映った自分の姿を見つめるナルシスのようにも思えてくる。

一方、洋子は、自身と同じ生年月日である「きーちゃん」に自分の姿を重ね、対照的に入居者をいじめる職員に反感を抱くようになっていく。

また、昌平は、さとくんに対して「まだ声を発することができない自身の息子も人間じゃないのか」と激怒する。さとくんと2人の間に、また新たな境界線が生まれる。

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