私たちの社会にある「暗部」
タイトル『月』の意味とは
こういった境界線は、本作の「月」というタイトルにも大きく関わってくる。キーパーソンとなるのは、洋子の同僚である坪内陽子だ。
例えば陽子は、東日本大震災をテーマとした洋子の小説に対し、震災のきれいな面にしか目を向けていないと批判する。また、家族団欒のシーンでは、突然父親の浮気を母親に暴露する。
陽子が暴くこの「暗部」は、社会の光が当たらない障がい者施設とパラレルだ。ただ、社会の「暗部」としての施設の描写には、正直疑問を抱かざるを得ない。
特に、洋子たちが夜に施設を見回るシーンでは、伏魔殿然とした薄暗い施設の奥からうめき声が聞こえる…といった演出がなされる。こうした物語に起伏をつけるために設けられたとしか思えない描写は、果たして本当に必要なものだったのか。
極め付けは、鍵がかかった部屋の入居者の描写だろう。
雷雨の夜、懐中電灯を手にした洋子と陽子、さとくんの3人が恐る恐る扉を開けると、稲光の中、障がい者が現れる…。この演出は、完全にホラー映画のそれだ。
確かにこのシーンは、さとくんの心変わりのきっかけとなる、かなりショッキングなシーンだ。ただ、だからといって、障がい者たちをホラー調で演出するのはいかがなものだろうか。筆者はこのシーンに倫理的な違和感を抱かざるを得なかった。
そもそも、本事件の残忍さと障がい者施設に社会の光が当たらないこと、そして施設内の汚職は、全く別の問題だ。それを一緒くたにして「暗部」と片付けてしまうところにいささか問題があったのではないだろうか。