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インヒアレント・ヴァイス 脚本の魅力

原作はトマス・ピンチョンが手がけた8作目の長編小説。原著で350ページを超える大作ではあるものの、桁外れな長さを誇るピンチョンの小説の中では比較的短く、探偵を主人公とするハードボイルド小説のパロディとして読むことができる。

小説『インヒアレント・ヴァイス』トマス・ピンチョン
小説インヒアレントヴァイストマスピンチョンGetty Images

難解を極めるピンチョン作品の中ではとっつきやすい部類に入るとはいえ、いくつもの事件が同時進行する複雑な構成と、ほのめかしに満ちたセリフ表現は決して容易に理解できるものではなく、主人公を巻き込む陰謀の全貌は最後まで明らかにならない。

物語を構成するのは、①シャスタから依頼された大富豪ミッキーの失踪事件、②行方不明となったサックス奏者コーイの救出劇、③刑事ビッグ・フッドの死んだ元相棒の敵討ち、という3つの要素である。

それぞれの要素が濃密に交わりながら展開していくのだが、すべての事件に深く関与している「黄金の牙」と呼ばれる闇の組織は最後まで謎のままであり、胸がすくようなクライマックスが用意されているわけではない。

本作はあくまで、謎に直面して右往左往する登場人物たちのアクションを満喫する映画であり、謎解きのカタルシスを期待していると肩透かしをくらうだろう。

タイトルの『inherent vice』とは、海上保険用語で「固有の瑕疵(かし)」を意味する言葉であり、物事にあらかじめ備わっている欠陥のことを指し示している。

映画版ではシャスタがドックに対し、「私はインヒアレント・ヴァイスだ」と告げるシーンがある。ドッグに幸福感を与えると同時に、命の危険をもたらしもする彼女は、男を破滅させる魔性の女=ファム・ファタールと呼ぶにふさわしい。

日本語で「運命の女」とも訳されるファム・ファタールは、本作が下敷きとする「フィルム・ノワール」というジャンルに欠かせないファクターであり、これまで数え切れないほど多くの映画で描かれてきた。

PTAはピンチョンの原作を映画化するにあたって、謎めいたタイトルに「ファム・ファタール」のイメージを結びつける。そして原作では端役の1人であるシャスタの登場シーンを増やし、重要な役割を与えることによって、多方向に拡散する物語に「運命の女」をめぐる1本の太い線を通しているのだ。

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