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根本的に新しい演出とは? 映画『ノック 終末の訪問者』の考察・評価。M・ナイト・シャマランの現在地【中編】

text by 冨塚亮平

世界の終わりと家族の死…。M・ナイト・シャマラン最新作『ノック 終末の訪問者』は、とある一家が迫られる究極の選択を描いた新感覚のスリラー映画だ。本作を論じつつ、シャマラン監督の魅力を丁寧に紐解くロングレビューを掲載。中編では演出面から同監督の可能性の中心に迫る。(文・冨塚亮平)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】

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新たなサスペンス演出

① シャマラン過去作で描かれてきた「ゴール」が物語の出発点に

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人類か家族かどちらかを選べという、即座に答えられるはずのない選択をエリックとアンドリューに強いる四人は、制限時間までに二人の決断を引き出せないことがわかると、あらかじめ決められた順番通りに、彼らが「道具」と呼ぶお手製の武器を使った儀式を執り行い、メンバーを一人ずつ殺害していく。

そして、一人が犠牲になるたびに、世界規模の地震と津波、Covid-19をあからさまに想起させる疫病、さらには飛行機の原因不明の落下といった、彼らがあらかじめビジョンで「見た」厄災が次々と現実化し、人類は危機へと陥る。

そんななか、室内の鏡に反射した光の中にある人影を「見た」というエリックは、次第に四人組の「見た」ビジョンが現実となる可能性を信じようとするようになっていく。

本作でもっとも挑戦的かつ問題含みなのは、小屋に押し入る四人組の行動原理が、これまでのシャマラン映画において怪物などの形で表象されてきた敵役よりもむしろ、はるかに主人公たちに近いものを感じさせる点だろう。

終末のビジョンを幻視した四人は、ためらいながらもその「サイン」を一旦は信じることで行動を共にし、山小屋へとやって来た。ある意味で彼らは、これまでのシャマラン映画のゴール地点から出発しているとも言えるのだ。

しかしシャマランは、あまりにも現実離れした自分達が見たビジョンが本当に正しいのか悩み続ける、どこにでもいるような人間として四人組を演出する。さらには、主にアンドリューの冷静で懐疑的な視線を通じて、四人の信念や行動が、福音派や近年のQアノンのような終末論カルトと区別のつかないものに過ぎないことを繰り返し暴き立てもする。

同様に、光のなかで別のビジョンを「見た」ことが示唆されるエリックは、その体験に至る前に小屋に押し入って来た四人に暴行され、強い脳震盪を起こしていたことが何度も強調される。四人組にしろ、エリックにしろ、彼(女)らが目にしたというビジョンは、いずれも狂信者の妄想や激しく揺れた脳が引き起こした幻覚と、決して厳密には区別がつかないのだ。

ここに至って、つねに/すでに目の前に見えていた「サイン」を信じて「目覚める」ことができた人間には、あらゆる偶然を必然へと転じる、ある種の「救済」が訪れるという、かつて三浦哲哉が「収束」の構造としてまとめたシャマラン式サスペンスの方程式*1は、ほぼ崩壊する。

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