“自由の国アメリカ”という幻影〜脚本の魅力
一般的なハリウッド映画とは異なり、本作にははっきりとしたストーリーが存在せず、ワイアットとビリーの放浪は即興的に描かれる。しかし、物語を通して一貫したテーマは存在している。それは、「アメリカのフロンティア精神の再発見」である。
前半では、麻薬の取引で大金を手にした二人が、1週間後に控える謝肉祭を目指し、大陸横断の旅に出る。途中、ヒッチハイカーの紹介でヒッピーのコミューンに立ち寄った彼らは、食事を共にしたり女性たちと恋仲になったりとやりたい放題。しかし、南部に入った途端、状況は一変する。パレードをバイクで邪魔したという咎で留置場に入れられてしまうのだ。
というのも、当時の南部はプロテスタントをはじめとするキリスト教信者が多く暮らし、極端なまでに保守的・排他的な地域。仏教やヒンドゥー教をバックボーンとするヒッピーたちとは、そもそも根本的に相容れない地域なのである。
地元の理解ある弁護士ハンセンのおかげで釈放された彼らだったが、周りの人々の冷たい目線は変わらない。カフェに入った彼らには住民たちの容赦ない罵声が浴びせられる。そしてそんな彼らを、なんとも残酷で理不尽な結末が待ち受ける…。
「自由」をめぐる本作のメッセージは、ハンセンが漏らす次のセリフに集約されている。「彼らは君たちを恐れてるんじゃない。君たちが象徴するもの、つまり“自由”が恐いんだ」
自由の国と謳われるアメリカ。しかし、自由は、他者にとっては排除すべきものとして映る。本作が突きつける問いをめぐる状況は、公開から50年余りを経た今でもあまり変わっていないのかもしれない。