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自由を体現した無軌道なカメラワーク〜映像の魅力

撮影のラズロ・コヴァックスとデニス・ホッパー
撮影のラズロコヴァックスとデニスホッパーGetty Images

1960年代といえばスタジオ内での撮影が主流だが、本作ではスタジオを借りる金銭的余裕がなく、やむなくロケが行われることとなった。しかし、この選択肢が功を奏し、本作のテーマである「自由」を体現するカメラワークが可能となった。

例えば旅の冒頭、ワイアットが腕時計を投げ捨てるシーンがある。時間という権威への反発を示す象徴的なシーンだが、このカットでは、無意味に思われるほどにズームインとズームアウトが繰り返される。

また、主人公たちが夜襲をかけられるシーンでは、ハンセンが撲殺されるカットと眠りから覚めたビリーが叫ぶカットがチカチカと点滅させるようにオーバーラップされ、観客の衝撃を与えることに成功している。なお、こうしたカットの繋ぎは、ジャン・リュック・ゴダール監督の『ウィークエンド』(1967年)にも見られ、ホッパーが志向する表現表現とフランス・ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちの共鳴っぷりがうかがい知れる。

なお、本作のカメラを担当したのは、ラズロ・コヴァックス。ハンガリー動乱を記録したフィルムを手に、ハンガリーからアメリカに亡命したという人物である。本作の撮影までヨーロッパ映画しか見たことがなかったというコバックス。彼とホッパーの化学反応が、アメリカ映画に新風を巻き起こしたのである。

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