クライマックスはトラヴィスの妄想? 〜映像の魅力〜
先述したように、ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスはみずから事件を引き起こす存在であると同時に、街の片隅で起きている腐敗しきった数々の出来事、狂気を秘めた人々の振る舞いを観察し、妄想を膨らませていく存在である。その点を踏まえると、本作の真の主人公は、1976年当時のニューヨークの街そのものだと言っていいだろう。
「夜の街は娼婦、ゴロツキ、ゲイ、麻薬売人であふれている」というトラヴィスのナレーションに合わせて映し出されるのは、目を突き刺すようなカラフルなネオン、街行くミニスカートの女性とギラついた瞳を輝かせた男たち。1976年当時のニューヨークの夜の空気感が、ドキュメンタリーを思わせる生々しいカメラワークよってすくいとられている。凝ったライティングとカメラワークで絵画のような美しい構図を構築するのではなく、汚いものは汚く、ボンヤリしたものはボンヤリしたまま、街の混沌をそのまま定着しようとする、リアリスティックな撮影スタイルだ。
一方、クライマックスの銃撃シーンでは、凝ったカメラワークが見られる。モヒカン頭のトラヴィスが一連のアクションを終え、ソファーにもたれて目をつむると、カメラポジションは俯瞰になり、天から部屋全体を見下ろす構図となる。カメラは俯瞰のままゆっくりと移動し、部屋に踏み込んだ3人の警察官を映し出すが、動きは固定されており、蝋人形のようだ。時間の止まった部屋でカメラだけが自由な動きを許されており、真っ赤に染まった壁、床に転がった拳銃、血まみれの死体がなめるように映される。それまでのリアルな撮影スタイルとは打って変わった、幻想的で、ちょっぴり悪趣味なカメラワークである。
続くシーンでは、モヒカンだったトラヴィスのヘアスタイルは通常に戻っており、アイリスを裏社会から救い出そうとする後半の展開は、トラヴィスの妄想だとする説も多い。クライマックスのみ、幻想的な撮影スタイルが採用されていることも、妄想説の根拠のひとつとなっているに違いない。
撮影を担当したのは、1935年生まれのマイケル・チャップマン。『ゴッドファーザー』(1973)の現場でカメラオペレーターをつとめ、名撮影監督であるゴードン・ウィリスから影響を受けた、1970年代以降のハリウッドを代表するカメラマンである。
スコセッシ作品では、記録映画『ラストワルツ』(1978)と、実録もののボクシング映画『レイジング・ブル』(1980)の撮影も担当。写実的かつ鮮烈な画づくりで、スコセッシの映像表現をネクストレベルに押し上げた。