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『20代前半は映画のことしか考えていませんでした』
映画との出会いから影響を受けた作品とはー。

©︎瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会
©︎瀬尾まいこ2024夜明けのすべて製作委員会

―――監督のキャリアについても伺いたいです。映画美学校に通われて、映画作りを学ばれたそうですね。

「大学のときに映画サークルに入って映画作りはしていたのですが、3年のときに1年間通いました。もっと遡ると、小学生のときに映画『アポロ13』(1995年/ロン・ハワード監督)を観て、感動しましたね。その時は宇宙に惹かれて、将来はNASAに勤めたいと思っていたんです。

でも中学に入り、数学で挫折して(笑)、理系じゃないからNASAは無理かと諦めました。そこからジャーナリスト、漫画家、旅人など、なりたい職業はコロコロ変わっていったのですが、中3のとき『映画はこれらがすべてある!』と気づいたんです。

中3の文化祭で3分くらいのビデオ作品を作ったのですが、これが映画作りのきっかけです。すごくおもしろかったので 『これは一生、続けられる』と思いました」

―――映画もたくさん観ていたのですか?

「中高生のときはハリウッド映画が大好きで、日本映画なんてダサいと思っていました。でも高校時代、地元のシアターキノで青山真治監督の『ユリイカ』(2000)を観て、なんてかっこいいんだと感動しまして。同じ時期にエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の思い出』(2000)を観て、これも素晴らしかった。ハリウッド映画と同じくらいの感動があるし、面白いし、いろいろなことを考えさせられるし、大いに刺激を受けましたね」

―――なるほど、観る映画のジャンルも広がっていったんですね。その頃から映画監督を職業にすることを考えていましたか?

「自分が映画監督を職業とするとは考えていなかったですね。大学生のときの映画サークルで映画を撮影していたとき、とにかく楽しくて仕方がなかったんです。でも1作品撮るたびに悔しいこともあり……。悔しいことが9割でしたが 『次はもっとうまくできる、こういうのも撮ってみたい』と、もう1本、もう1本!というように、20代前半は映画のことしか考えていませんでした。

悔しさをバネにして映画を撮り続けていたら、幸運にも良い出会いがあり、今も映画を撮り続けています」

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