“科学哲学”の提唱者・アインシュタインの誤算
1879年、ドイツのヴュルテンベルクに生まれたアルベルト・アインシュタインは、世界で最も有名な理論物理学者の一人となる。ミュンヘンで育った後、アインシュタインはスイス連邦工科大学チューリッヒ校で教育を受け、そこで彼のキャリアの基礎となる数学的、科学的スキルの多くを身につけた。
若くして成功を収めたアインシュタインは、その才能を買われ、ヨーロッパの教育ネットワークにあるいくつかの一流大学に進んだ。チューリッヒにあるスイス連邦工科大学を卒業した翌年の1901年、スイス国籍を取得したアインシュタインは、ベルンにあるスイス特許庁で働いた。
その後、1914年にドイツ・ベルリンに移り住み、第一次世界大戦の混乱にもかかわらず、ドイツ国籍を取得。その中でもアインシュタインの最も顕著な業績となったのは、1905年、現代の理論物理学の発展に不可欠である“質量とエネルギーの等価性”を提唱し、質量とエネルギーが等価であることを示したことだ。
また、アインシュタインは、学問と理論的研究に加え“科学哲学”の提唱者でもあった。この哲学は、事実に基づいた結果を生み出すために信頼できる科学的手法を用いることの重要性を社会に強調し、人間の生活をより向上させるツールとして科学を用いることの重要性を世に説いた。
上記のようにアインシュタインのアイデアの多くは理論的なものであった。しかし第二次世界大戦の黎明期に、彼の研究が軍事グループによって注目されるようになると、彼の歩む道は次第に道徳的に誤った方向へ進み始める。