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濱口竜介監督『偶然と想像』との親近性

憐れみの3章
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『ロブスター』の収容者たちのように、人間はどうせ部屋番号に還元されるアバターでしかないという認識。であるならば、発狂しようと、惨殺されようとたいしたことではないという結論になってしまう。

 このような映画世界はやっぱりバーチャルな収容所だという気がする。『ロブスター』の主人公コリン・ファレルは「わたしはロブスター(オマール海老)になりたい」という当初の表明どおりに、ラストでじっさいにオマール海老に生まれ変わってみせるべきだったし、「転生したらロブスターだった件」などとうそぶきながら甲殻類としての栄光を享受しつつ、人間社会の矮小さを逆照射的に撃つべきだった。『憐れみの3章』の遁走者たちもまた、誰ひとりとしてオマール海老に転生しようとしない。

 単独監督による3話オムニバスという形式は、独特な世界観を重層的に提示しうる、じつに興味深い説話形式である。ただしこれはヨルゴス・ランティモスのオリジナルなスタイルというわけではない。

 近年においてこの形式をあざやかに活用しえた例として、濱口竜介監督の『偶然と想像』(2021)が記憶に新しい。そういえば『憐れみの3章』はどことなく『偶然と想像』と似たような感触がある。人物類型に関する冷徹な観察という作家の姿勢ばかりが共通項ではなく、『ドライブ・マイ・カー』(2021)という自身の作家キャリアを決定づけるモニュメンタルな大作と同時並行で製作が進められた『偶然と想像』がかもす息抜きのようなゲーム感覚は、『哀れなるものたち』と『憐れみの3章』の2者の関係値に近いものがある。

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