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『哀れなるものたち』の駄賃としての自己反復

憐れみの3章
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 単独監督による3話オムニバスというと、歴史的には名手による腕の見せどころとなる印象がある。ナポリ→ミラノ→ローマと3都市に舞台を移しながらソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニがいろいろと役替えしていく『昨日・今日・明日』(1963/ヴィットリオ・デ・シーカ監督)であるとか、船越英二がベストセラー小説家を3章通しで演じつつ、各章で山本富士子、叶順子、野添ひとみと順にからんでいく『女妖』(1960/三隅研次監督)など、思い出すだけでも手だれの映画ファンを納得させうるだけのあざやかな名手ぶりが発揮されている。

 その伝でいけばランティモス、濱口の両監督は、かつてのデ・シーカ、三隅研次の域に達した名手としての自覚があるということにもなる。本当にそうなのかと問い直されたならば、そうだとも言えるし、そうでないとも言える、などとのらりくらりと答えるほかはないが、少なくとも今言えることは、濱口は『偶然と想像』を9話まで続けると予告しているから、その予告がただの冗談でなければ、さらにロメール的拡張を見せてくれることだろう。

 ランティモスの場合はどうかといえば、『憐れみの3章』の存在意義は、苦労続きの大作『哀れなるものたち』の駄賃としての自己反復にあるのだと思う。いったん過熱した自身を取り巻く状況を冷却させるとともに、原点回帰という旗印によって旧来からのファンの心を慰撫することもできる。

 筆者自身は不満が残ったし、アメリカ本国で興行面、批評面ともに振るわなかった『憐れみの3章』は、少なくとも上述のような役割はじゅうぶんに果たしえた作品なのだとは言えるだろう。さまざまに上げたり落としたりして評してきたが、『憐れみの3章』で起こる各事件は非常に楽しくてまがまがしい。大いに楽しんでいただいた上で、もしこの評に思考を戻してくださるなら、この上なき幸いである。

(文・荻野洋一)

【作品情報】

監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ
出演:エマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ホン・チャウ、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファー
配給:ディズニー
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