③映画館のメタファーが意味するもの
約3時間にも及ぶ『ボーはおそれている』の上映時間を通して、我々観客は、ホアキン・フェニックス扮するボーが理不尽という他ない様々な災難に見舞われ、彼が恐れおののき、絶叫し、その場から逃走するサマに視線を注ぎ続ける。そして、凄惨な暴力描写に目を伏せたくなる気持ちに襲われつつ、ボーの滑稽な身振りに笑い声を上げる。
やや穿った見方をすると、我々観客は安くない上映料金を払って、ボーの人生を見世物として存分に“楽しみ”、上映が終わったら席を立って、それぞれの日常へと帰っていくわけだ。
これは本作のみならず、ホラーであれ、サスペンスであれ、ヒューマンドラマであれ、人間を描いた作品であれば必ず当てはまる、映画の宿命である。
その点を踏まえると、本作のラストには深い皮肉と批評性を感じざるを得ない。
ボーが「何も悪くない」にもかかわらず、理不尽な目に遭い続ける。そのサマをポップコーン片手に時には悲鳴を、時には笑い声を上げながら映画館の観客が享受する。俯瞰してみると、こうした構図ほど“理不尽”なものはないだろう。
ボーに天罰が下され、その様子を見終わった聴衆が次々と席を立ち、その場に誰もいなくなるまでを映し続けるラストシーンは、映画鑑賞にまつわる理不尽な部分を可視化、あるいは戯画化していると考えることもできるのだ。