日常が根底から覆された世界で
物語は、東日本大震災の被害を刻々と伝えるテレビのニュースを見続けたキョウコが、置き手紙を残して夫・小村の元から姿を消すところから始まる。妻の突然の失踪に呆然とする小村は、図らずも中身の知れない小箱をある女性に届けるために北海道に向かうことになる。
同じ頃、小村の同僚・片桐が家に帰ると、そこには2メートルもの巨大な「かえるくん」が待ち受けている。かえるくんは迫り来る次の地震から東京を救うため、控えめで臆病な片桐に協力を求める。
めくらやなぎ。巨大なミミズ。謎の小箱。どこまでも続く暗い廊下。大地震の余波は遠い記憶や夢へと姿を変え、小村とキョウコ、そして片桐の心に忍び込む。人生に行き詰まった彼らは本当の自分を取り戻すことができるのだろうか――というのが本作のあらすじである。
冒頭から多くの日本人、とりわけ当時首都圏に身を置いていた誰もが、キョウコと同じようにテレビを見続けるしかなかったあの数日間を思い起こすだろう。無力感と喪失感に苛まれ、人生観を大きく揺さ振られたあの日々のことを。
食料の消えたスーパーやコンビニの棚。灯りの消えた夜の街。日常は根底から覆された。そんな東京の片隅で生きる小村や片桐の心の隙間にするりと非日常が忍び込んでくる。
それはかえるくんであり、巨大ミミズであり、謎の小箱である。村上作品の特徴のひとつとされるマジックリアリズム。日常の延長線上で非日常を描くことで「ありえないこと」を「あるのかもしれない」と思わせる。
村上作品を映像化する上で、東日本大震災直後の東京という設定がそれらの非日常に強い説得力を持たせているのは、間違いないだろう。
3月11日の津波と12日の水素爆発をテレビで見たわたしたちは、本作を見ることによってあのとき自分が「次に何が起きても不思議ではない」という異世界への入口に立っていたことを再認識させられるのである。