劇中で救世主と自称したデッドプールの意味
ほかにも、ベン・アフレックの『デアデビル』とか、『ブレイド』とか、ウルヴァリンの兄弟セイバートゥースほかX-MENの諸々とかをデッドプールが片っ端からメタなツッコみをしてこれまでの不都合なマーベル原作映画の作品群をMCUから引き剥がして“断捨離”していく。
もちろんメタなツッコで作品世界からの切り離すことはデッドプールの過去二作でも行ってきていて、デッドプール役のライアン・レイノルズが自ら主演して大コケしたDCコミックが原作の『グリーン・ランタン』(2011)や『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』で初登場した無口なデッドプールをメタに茶化すことで作品世界から黒歴史となった過去作を棚上げしているのだ。
正直なところ、フェーズ3以降のMCUはドラマ作品のリリースが加速し、またマルチバースも加わり物語が複雑になりすぎていた。またいつからか物語の興味よりも他作品にまたがる伏線とその回収にばかり気を取られ、映画を観に行けばもっとも興味をもつのがポストクレジットのオマケ映像だったりした。
ああ、MCUはこのままではいけない、どこかで仕切り直しが必要だと思っていたところに登場したのが、この『デッドプール&ウルヴァリン』だったのである。
劇中でMCUの神、救世主と自称したデッドプールの意味はまさにこれだったのである。
MCUを仕切り直すことができるのは、設定までをも自在に操れるデッドプールだけにしかできない。つまり20世紀フォックスを買収したことでディズニー&マーベルスタジオは今後のMCUの行く末をいかようにも修正できるデッドプールという神の手を手に入れたのであった。