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X JAPAN『紅』と現実が奏でる圧巻のクライマックス

北村一輝【Getty Images】
北村一輝Getty Images

『タイガー&ドラゴン』の魅力は、古典落語と現実をシンクロさせて駆け抜けるジェットコースターのようなクライマックスだ。

「芝浜」や「厩火事」、「明烏」といった古典落語を、現実のエピソードトークを織り交ぜながら披露する虎児に、寄席の観客は湧き、視聴者も圧倒される。この古典と現実の化学反応が産む爆発。古典に対して「わかんねぇ」と首を傾げていた虎児が、現実を通してそれを理解していくのだ。

この『カラオケ行こ!』における古典は、狂児の十八番であるX JAPANの「紅」だろう。「紅」のリリースは1988年なので、中学3年の聡実くんにとっては生まれる遥か前の曲。まごうことなき古典である。原作にない映画オリジナルのシーンとして、その「紅」の歌詞を朗読するシーンがある。

狂児のために聡実くんが和訳した「紅」の英語パートの歌詞を、その曲のカラオケをBGMに朗読する。古典を紐解き、その深みを再認識する。現実の出来事を通して古典落語の意味を理解する虎児のように、狂児も聡実くんに教わりながら「紅」に歌詞を理解していく。

そんな「紅の回」のクライマックス。合唱祭に参加するか、事故で重体(と、思われていた)の狂児のもとへいくかの選択を迫られた聡実くんは、合唱の練習を抜け出して組のカラオケ大会が開催されているスナックに駆けつける。

そして、もうここにいない狂児への鎮魂歌としてマイクを持ち、狂児の歌う姿を見て覚えた「紅」を熱唱する。変声期真っ只中の喉から絞り出すその歌は決して上手いとは言えないが、虎児の落語のような、観る者聴く者を惹きつける味がある。

「すれ違う心は溢れる涙に濡れ/紅に染まったこの俺を/慰める奴はもういない/もう二度と届かないこの思い/閉ざされた愛に向かい/叫び続ける」

喧嘩してから音信不通になっていた狂児は、もうこの世にいない。この世にいないのでこの気持ちを伝えることができない……と、歌詞の一つ一つが狂児のことを思えてならない。

フラッシュバックする狂児と過ごした日々の回想。歌と記憶、古典と現実、フィクションと実話が混ざり合って巨大なエモーショナルを生む、素晴らしいクライマックスだ。

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