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“大衆文学雑誌”としての『キル・ビル』―脚本の魅力

映画『キル・ビル』主演のユマ・サーマン
映画キルビル主演のユマサーマンGetty Images

本作は、以下の全5章から成り立っており、それぞれの章で味わいが微妙に異なっている。

第1章 2番
第2章 血ぬられた花嫁
第3章 オーレン・イシイの出生
第4章 沖縄の男
第5章 青葉屋での死闘

こういった章立ては、他のタランティーノ作品にも観られる要素で、『パルプ・フィクション』のタイトルの由来にもなった「パルプ・マガジン」(短編の三文小説を集めたアンソロジー)を連想させるものだ。しかし、本作の場合は作品自体がB級映画のオマージュであることもあり、まるで絵や写真を切り貼りしたスクラップブックを観ているような気分になる。

第3章の「オーレン・イシイの出生」だろう。このパートでは、オーレン・イシイが殺し屋になるまでの顛末が、アメコミ風のアニメで表現される。しかも、本作の場合は、設定そのものの「ごちゃ混ぜ感」もあり、全く違和感がなくつながっている(なお、アニメパートを担当したのは、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)で知られるProduction I.Gで、タランティーノが同作のファンであったことから依頼したとのこと)。

つまり、本作は、カンフー映画やヤクザ映画といったさまざまなB級映画を寄せ集めた“大衆文学雑誌”なのだ。そして、その根底には、「編集者」であるタランティーノの映画への愛が流れている。

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