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『フュリオサ』が批判的に描き出す“他人の死を消費する態度”

『マッドマックス:フュリオサ』
© 2024 Warner Bros Entertainment Inc All Rights ReservedIMAX® is a registered trademark of IMAX CorporationDolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories

 本作は、歴史に残る大仰な物語を解体していくのと同じ手つきで、死にまつわる物語とも距離を取る。ウォー・ボーイズに与えられた死の物語の代わりに、本作が焦点を合わせるのは、フュリオサの復讐相手・ディメンタスの物語だ。

 映画のクライマックス、フュリオサに追い詰められたディメンタスは自らの死について長広舌を振るい出し、「俺にふさわしい死を用意できるのか」と指図し始める。自分のであれ他人のであれ、死にまつわる物語をコントロールすることは、この荒れ果てた大地で生きるにあたっての究極のよすがなのだ。

 死についての物語は苛烈だが、そのぶん甘く魅惑的だ。死にまつわる物語を支配できれば、人間の命などいくらでも後景化できる。フュリオサとジャックを捕らえて引き摺り回したディメンタスの、「飽きた…」というつぶやきは、死にまつわる物語におぼれた者の、傲慢だが切実な倦怠を示してもいる。

 他人の死を消費する態度は、荒廃した核戦争後の世界に限らず、現実にもありふれているだろう。『フュリオサ』では、他者に死を肯定する物語を与えるイモータン・ジョーの代わりに、自らに死の物語を課すことで他者の死に無関心でいられるディメンタスが対比的に描かれている。

 このクライマックスシーンが巧みなのは、「いかにしてディメンタスが死ぬか?」という関心が、フュリオサに感情移入している観客の抱く期待とも接続する点だろう。フュリオサの母を残酷な仕方で殺したこれほどひどい悪役には、ふさわしい死にざまがあるはずだ、と。しかしそんな期待を裏切るように、フュリオサはありうべきいくつかの可能性を語るのみで、決定的な真実は提示されない。

 真実らしき物語は、賢者(ヒストリーマン)にだけこっそりと語られる。しかし、それが真実かどうかはわからない。というか、真実でなくとも構わないのだ。

 フュリオサにとっては復讐が果たされたこと、そして体の真ん中に居座って燃える怒りがまだ燃え盛っていることの方が重要だからだ。フュリオサの怒りも復讐も、突き詰めればフュリオサだけのもの。そこに、簡単に感情移入できるような物語は用意されない。しかしその怒りは今この時、迫害されている女たちを助け出すための力ともなる。フュリオサの怒りが行き着く先を、『怒りのデス・ロード』をすでに見た観客は知っている。

『フュリオサ』は、『怒りのデス・ロード』での達成を受け継ぎつつ、真っ向から対立するような表現にも挑戦している。

 それは映像と感情の快楽を求める観客にとっては肩透かしに感じられるものかもしれないけれど、私個人はそこに、物語を語ることの誠実さを感じ取る。

 物語を引き寄せて楽しむのは、人間に与えられた一種の特別な能力だけれど、その力は現代においては、危険な共感にすらなりうると『フュリオサ』は告げている。誰もあなたの死に身勝手な物語を付け加える権利はなく、あなたの怒りは、あなただけのものだ、と。

『怒りのデス・ロード』が映画の歴史、あるいはフェミニズムにおいて重要な達成を果たしたように、『フュリオサ』もまた、2024年だからこそ描かれなければいけなかった重要な達成を、フィルムに焼き付けている。

(文・山田集佳)

【作品概要】

■タイトル:『マッドマックス:フュリオサ』
■公開日:5月31日(金)全国ロードショー!日本語吹替版同時上映 IMAX/4D/Dolby Cinema/SCREENX
© 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
IMAX® is a registered trademark of IMAX Corporation.
監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース
配給:ワーナー・ブラザース映画
公式サイト:MADMAX-FURIOSA.jp #マッドマックス #フュリオサ
公式サイト

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