撮影クルーに毒づき罵る者も…取材班の葛藤
そんなチェルノフだが、初めから全てのマリウポリ市民から受け入れられていたわけではない。修羅場と化した病院内での撮影は、「この惨劇を世界に広めてくれ」と、概ね協力的だった一方で、街中での撮影に臨むと、嘆き悲しむ市民がいたかと思えば、撮影クルーに毒づき、罵る者もいる。その様子は、突然の戦禍によって我を失ったかのようにも見える。
しかしチェルノフは何を言われようが言い返したりはしない。むしろ、心身共に傷付いた市民にとことん寄り添おうとする。わずか20日間の取材期間ではあったが、その間、チェルノフたちは間違いなく「マリウポリ市民」だったのだ。
マリウポリから逃げ遅れた人々は、行く当てもなく建物の地下や体育館、スポーツジムを仮の避難所とし身を隠す。ロシア軍は、一般市民は攻撃しないとされていたが、そんな建前は全くの嘘。住宅や病院にも容赦なくミサイル攻撃し、街には死体の山が積み上がっていく。
この中には、チェルノフの取材を受け、交流があった人物もいた。チェルノフとて感情のある一人の人間。心穏やかでいられるはずはなかったはずだ。それでも彼は淡々と、自身の使命をこなしていく。
取材を重ねる中、状況は悪化の一途を辿っていく。インフラのみならず、攻撃は病院や消防署にまで及び、ついには破壊された店から商品を略奪する不届き者まで現れる。街への攻撃は、建物など物理的なものだけではなく、市民の心まで壊していたのだ。
死体安置所のスペースもなくなり、大きな溝状の穴を掘って、袋詰めされた遺体が次々と投げ込まれる。まるでゴミを埋め立てるようなその扱いに、戦慄を覚えざるを得ない。