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エルヴィスとプリシラの関係は真に対等だといえるのか

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 実際のプリシラとエルヴィスよりも、演じたケイリー・スピーニーとジェイコブ・エロルディによってさらに誇張された身長差は、ふたりの歪で不均衡な関係性を視覚的に具象化している。『プリシラ』は果たしてエルヴィスとプリシラの関係を真に対等だといえるかという問いを観客へと突きつける。

 クリント・イーストウッドが主演した『白い肌の異常な夜』(1971)でも映像化されたトーマス・カリナンの小説『The Beguiled』をコッポラが新たに女性視点で翻案した『The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』(2017)では、女子寄宿学校に負傷した北軍兵士の男が招き入れられて男/女のあわいで支配/被支配のスリリングな攻防戦が繰り広げられてゆく。

 『The Beguiled』と『プリシラ』はルックがまるで違えども、画面の底流には捕食者と被捕食者の性的闘争があるようであり、相似形をなす図式が立ち上がっているといえるかもしれない。

 近年、年の離れた大人が性的な関係を目的として子供を手懐ける「グルーミング」という概念がますます一般化しつつある。たとえば『17歳の肖像』(2009)は16歳のジェニーが30代の男性に声をかけられて婚約に至るが、のちに彼女が自分たちの関係性を理解するようになるまでを描く。あるいは『ジェニーの記憶』(2018)では13歳で中年男性のコーチと親密な関係に発展し、初めての性行為を経験したジェニーが40代になってようやくそれが虐待だったと認めてゆく。

 グルーミングを扱うこれらのいずれの作品でも、男性は複数の少女たちと関係を持っている。『プリシラ』ではエルヴィスが映画で共演した俳優とのいくつかのスキャンダルが取り沙汰されるが、そこではプリシラと同世代ほどの少女たちの怪しい影はない。

 「年齢は若くても中身は大人で特別」といった言葉はグルーミングを行う大人の常套句であり、くだんの作品群においても見受けられるが、『プリシラ』はその選択によってあくまでもプリシラが「特別」であることを印象付ける。

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